アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
帰ってきた、水池屋無呂具堂。
ブログ紹介
「2K庭付き幽霊憑き」と言う漫画を今買うと、2巻が読める・・・・・・かも!?らしいのです。
自分が好きな漫画なので、2巻が見たいです、読みたいです、触りたいです。
↓を読んで面白かったら、どうぞ手にとってみてくださいませ。
http://www.enterbrain.co.jp/pickup/2009/2K/



気ままにアニメの感想を書いていくブログです、リンクや引用に関しては一言頂きたいと思います。
何かあれば下のメールフォームでメッセージをどうぞ。
mixi
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=13359803

メール
http://form1.fc2.com/form/?id=495961
help リーダーに追加 RSS

「魔法にかけられて」を見ました。

2010/02/01 23:55
 魔法にかけられて 予告編


Enchanted Movie Trailer



 ずっと見よう見ようと思っていた「魔法にかけられて」をやっと見ました。
 個人的には、もっと実写とアニメーションが一つの画面に共存しているような映像を想像していたのですが、アニメはアニメ、実写は実写でクッキりと分かれていて、そういう部分は少なかったですね。
 アニメパートは作画的にも充実しており、短いながらなかなかの見ごたえです。
 作画マニアな人はここを見るためだけでも、一度眼を通してみても損はないと思います。
 通してみた印象は、「ディズニー映画の世界からハリウッド映画の世界に来た人の話」と言う感じでした。
 特に最後の舞踏会に行くジゼルっていうのはそれまでと服装と立場が逆転して、そう見える気がしますね。
 作品自体がディズニーのアニメ世界が抱えているジレンマのようなものについて触れている作品のようにも見えました、そこから展開していってジゼルが落とされてしまった「夢の無い世界」っていうのが、今のハリウッド映画を象徴している世界なのかな?とちょっと思いました。
 アニメの世界の恋人同士は、歌を通して心を通じ合わせるようで、音楽自体がそのキャラクターのアイデンテティになっているような所があるなあと思うのですが、実写の世界に来てからのジゼルの歌う歌っていうのが、ディズニー長編映画の音楽自体の変遷を圧縮しているのかな?という感じがするんですよね。
 この「魔法にかけられて」という作品は、はジゼルという女性が自己を確立して行くような内容だと思うんですけど、それと同時にディズニー長編作品のお話では、「お姫様」が物語を通して成長して行った最終段階で、いつも最後は王子様の「花嫁」になってしまうという所から、段々と女性自身の自己の確立その物がテーマになっていっている所があると思うんですが、その過程というものの一端を音楽で象徴している作品なのかなあと思ったりしました。
 なので、作品中で「怒り」という具体的な感情を持った、ジゼルが「お姫様」から「女性」に変わる事で、代償にそれまでジゼルにとって重要な感情表現であった歌を忘れてしまうという展開になるのかなあ?等と思いました。
 そこに王子様が登場して、ジゼルに歌いかけますが、ジゼル歌をうたうことが無く、王子様に「君の番だよ」と言われる、この歌においても「役割」が決まっているところが「キャラクター」的だなあと思いました。
 創作物を見る時に、「こんなに説明的な事を言う人はいないだろう」とか思ったりしますが、キャラクターには自分の感情を表現する、ある種の義務(表現しないことも含めて)がつきまとうものですよね。
 だから、歌を忘れたジゼルは、同時にアニメの世界の住人である為の許可証を失ったと言う事なのかな、と思いました。
 つまり、感情表現が=でコミュニケーション手段だった所から、「表現」の部分が失われて、「感情」がジゼル個人の持ち物になった所で、「キャラクター」から、「人間」になった、というような事なんじゃないかなと。
 ああー、ちょっと小難しい表現になっちゃったですかね・・・・・・
 感情が誰かに「伝える」物から、相手に対して思う個人の「持ち物」になった、という事かな〜とか、何となく考えました。
 細かいネタ的な描写が面白い映画だと思うので、細かい記述は省きますが、個人的に一番見ていて嬉しかったところは、ジゼルのスカートがちゃんとディズニー風に動いていたところですね(笑)
 これこれー!とか思いながら見ていました。
 実に徹底した映画で、ディズニー映画を見た事が無い人でも楽しめると思います。
 面白かったですし、気軽に見れる作品だと思うので、是非見てみて下さい。
 所で、自分は実写とアニメの共存した映像と言うのが好きで、そこそこ見ていたりするのですが、そうした作品に一つの共通点があるような気がしています。
 それは、主人公が何かしらの境界線を超えて行くもの、「越境者」である事です。 
 「魔法にかけられて」は思いっきりそういう作品ですよね。
 たまたまそうした内容の作品を見ることが多いだけかもしれませんが、個人的にとても面白い共通点だと思っています。
 これからしばらく、そうした実写とアニメの映像が共存した作品をこのブログで紹介して行こうと思っています。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


シンエイ版TVスペシャル「三国志」

2010/01/30 23:23
 その昔、今で言う「金曜ロードショー」(当時は水曜だった模様)で放送した、長編アニメスペシャルです。
 前々から気になっていたのですが・・・・・・その頃は、東映版の劇場公開された、三部作の「三国志」を勘違いしておりました(笑)
 東映版の方も購入して、これから見ようと思っているんですが、全部で8時間近くあるので、中々全部見れませんね。
 その後、勘違いに気がついて、ついでに「アニメージュオリジナル」での井上俊之さんと磯光雄さんの対談を読んで気になったので、見てみました。
 長編らしいスケールの大きな見どころがT・Uともにあり、中々の大作でした。
 特にキャラクターメイキングに関して、かなり意欲的な作品で、多少原作の内容からそれてしまっている部分もあるようなのですが、思い切った内容で面白かったですね、キャラクター的にもシチュエーション的にも派手に作りかえられている所が多く、誰がこういう独特なセンスの作品にしたのかが気になる所です。
  Uでの張飛、関羽の死に様は、かなり独特の演出をしていて、弔い合戦に一人で敵陣に向かっていく、張飛が白装束に着替えていてそれが真っ赤に染まっていくとか・・・・・この作品、血の色がちょっと薄くってトマトの汁みたいにみえちゃったのがちょっと残念だったなあ、特にT。
 人物は、三国志三人のキャラ立ちも魅力的でしたが、特に目立っていたのは、諸葛亮孔明、麗花姫 、于禁、孫権仲謀で孔明はアイシャドーが目元に入ったビジュアル系美少年風、麗花姫はやたらとパンチラしつつアクションをしたり(巨大な凧で空中から襲撃したり、もちろんパンチラしつつ)、于禁は女だてらに一軍を仕切る女傑に男女逆転、その中でも孫権は金髪碧眼の外見に、他国からの侵略を受け手生まれた忌み子というこの作品独特の設定のキャラクターに変更されていて、于禁の孫権に対する、秘かなロマンス等もあり、色々と趣向をこらした展開があって、見ていて普通に面白いアニメでしたね。
 Tは、レイアウトを「木上益治」さんが担当していて、悪くはない・・・・・・んですが、なんとなくタイミングがモタモタしているところが多く、ちょっと勿体無いなあというのが正直な感想でした。
 エフェクトに関して恐らく木上さんが作監的な立ち位置にいたのではないかと言う感じで、統一感があり(使い回しがあったからと言う理由もあるかもしれませんが) 木上さんにアニメーターとしての関心を寄せている人にはオススメの作品かもしれません。
 Tのクライマックスの赤壁の戦いの一連に関しては、グッ!と画面のテンションが上り、かなりの見ごたえがあるシーンで、長いシーンながら緊張感も持続しており、ここを見るだけでも満足感のある映像です。
 Uは恐らく冒頭のアクションが木上さん、クライマックスのスケールの大きい大崩落シーンの一連を「井上俊之」さんが担当していると思われるのですが、質量ともに、当時の井上さんの代表作と言うべき仕上がりで、これを見れただけでもかなり得をした気分でした。 
 この作品を見ていて、思ったのですがやっぱり歴史物の大作というもののネックに「群集」と「馬」、それに「鎧」を描くのが大変そうだなあと思いました。
 特に、「馬」っていうのは、そういえば最近見ないなあと思います。
 「川尻善昭」さんも今の時代は馬を描ける人がいないという事で、「ハイランダー」では「馬」はほとんどご自身で手がけられたとか。
 川尻さんは昔、意識的に「馬」を研究して描かれるようになったそうですが(「マルコ・ポーロの冒険」の時だとインタビューで言っておられました、しかし作品自体のフィルムが現存してない作品なんですよね、残念)川尻さんの作品には必ずのように「馬」が出てきて、カッコ良いですよね。
 「ヴァンパイアハンターD」での「馬」と「馬車」による激しいカーチェイスも見ごたえがありますが、「獣兵衛忍法帳」冒頭での望遠レンズ風映像で走る馬などは、実にカッコ良いです。
 この作品でも「馬」を描かれている、井上さんですが、井上さんも「馬」がウマーイ!ですよね。
 いや、ほんと。
 井上さんは「馬」に限らず「動物」を描くのがたいへん達者な御方ですよね。
 色々研究されているんでしょうね。
 「動物」というのは、昔はマスコット的にどんなアニメにでも出てきたものですが、今となっては中々難しいものなのか見かけない物の一つとなって行っているような気がしますね。
 もう一つの理由として、世代的な価値観というものがあって、昔の時代というのはやっぱり「動物」が生活の一部であったという環境だとか、例えば「馬」であるなら創作の中にも西部劇やら時代劇やらで目にする機会も多かったのでしょうが、今では競馬にでもいかないと直接馬を見る機会は中々無いでしょうね。
 「三国志」を見ていて思ったのが、「馬」がずっと動いているんですよね、足踏したり、首をふったりをして止めなく動いていて、そういえば「馬」ってそういう生き物だよなあ、と改めて思いました。
 アニメでそういう事をするのは労力のかかる、難しいことだと思うんですが、この時代ではずっと馬を動かしているのが当たり前だという、無意識の時代の要請があったのかなあ、等と思います。
 アニメも実写も色々な部分で、その時代それぞれに受け手が求めるリアリティのレベルが変化して行っているところがあるんでしょうね。
 

「三国志」

総監修 楠部大吉郎

監督 今沢哲男

脚本 富田祐弘

キャラクターデザイン・作画監督 我妻 宏

レイアウト 木上益治

美術監督 内田健彦

録音監督 浦上靖夫

撮影監督 高橋明彦

音楽 渡辺岳夫

作画監督補 山本福雄

演出補 塚田庄英

原画

本田敏行   田辺由憲

本橋秀之   百瀬義行

青山 充    中島ちゅうじ

斉藤良紀   堤 規至

長岡康史   今沢恵子

伊藤富士子  賀川 愛

大塚正実   小林一三

飯山嘉昌   木村圭一郎

製作 シンエイ動画株式会社





「三国志U 天翔ける英雄たち」

総監修 楠部大吉郎

監督 今沢哲男

脚本 富田祐弘

キャラクターデザイン・作画監督 我妻 宏

美術監督 内田健彦

録音監督 浦上靖夫

撮影監督 金子 仁

音楽 渡辺岳夫

演出 パクキョンスン

作画監督補 山本福雄   堤 規至

原画

田辺由憲   羽根章悦

井上俊之   木上益治

本橋秀之   百瀬義行

清山滋崇   なかじまちゅうじ

小林一三   青山 充

伊藤富士子  飯山嘉昌

金子紀男   候 勝輝

佐藤 勝    水田智美

製作 シンエイ動画株式会社
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


「ポニョはこうして生まれた 宮崎駿の思考過程」、を見た。

2010/01/16 19:48
 あのさあ、これさあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長いよね。
 ということで、大晦日から新年にかけて一気見しました。
 噂の、12時間時代劇ならぬ。12時間半ドキュメンタリー「ポニョはこうして生まれた 宮崎駿の思考過程」。
 うーむ「もののけ姫はこうして生まれた」も長かったですけど、こちらは本当に長かったですね。
 そして、削られる!見ている自分の体力が!
 いやー凄かった、10分を1時間に感じましたよ、本当に。
 あーもうけっこう見たなあ、1時間くらい見たかな?と思って時計を見たら、10分しか時間がたってない、なんだと!?
 という感じで12時間半ぶっ続け・・・・・・といっても途中で「大晦日ドラえもん」見たり、年越しそば作って食べたり、ディスク入替1枚ごとに休憩していたので、新年を迎える前に見終わるはずだったのに思いっきり年をまたいで、早朝4〜5時位まで見終わるのに時間がかかったんですけどね(笑)
 見終わったら、そのまま「崖の上のポニョ」を見ようおと思っていたんですけど、そんな体力残っていなかったなあ(笑)来月TVで放送するそうなので、その時までおあずけですね。
 内容は宮崎駿さんに密着したインタビュー。 
 アニメ監督とか、アニメーターという部分よりは「作家性」とか産みの苦しみとか、そういう方向性に着目している感じでした。
 宮崎駿のドキュメンタリーでもあり、半分・・・・・・もしくは、それ以上?は撮影している人のドキュメンタリーになっている気がします。
 この撮影をしている人は、「顔」を撮るのが好きなのかな、「もののけ姫ができるまで」はけっこう手元が見えるような撮り方をしていたと思うんですけど、今回は宮崎駿の「顔」と喋る「話」がメインでした。
 撮影は、絵コンテ完成までと言う事でもったいないなあと思うことこの上ないですね。
 見ている間中、絵描きの心が絵を描いている時に現れるのって、「顔」なのかなあ?「手」なのかなあ?まあ、勿論描いている「絵」なんだろうけど、まあ人にもよるとは思いますけど・・・・・「たなごころ」って言葉もありますしね。
 作画打ち合わせで「浜洲英喜」さんが出てきて、濱洲さんに絵コンテを褒められて嬉しそうにしている宮崎さんが印象的でしたね。
 濱州さんの原画の上りに対する反応とか気になったけど、今回は「宮崎駿」のドキュメンタリーだったので、宮崎さん以外のアニメスタッフは全然とりあげられ無かったのが残念ですね。
 こういうドキュメンタリーを見ていて思うのが、撮影している人達は作画監督とか原画の人達がどういう人達なのかをどれくらい把握しているのかという所なんですけど、どれくらい調べているのかなあ?
 自分個人が、興味があるのは宮崎駿というアニメーターと宮崎駿が認めるアニメーターなので、次の機会があるようならそういう人にも焦点を当てて欲しいなあと思います。
 こういうの見るような人は少なからず、興味のある部分なんじゃないかと思いますので、というか自分がその中の気になる人だと言うだけなんですけどね。
 正直、宮崎駿さんが怒ってる所ばっかりとりあげられるのを見るのは飽きた気がします。
 そういう切り取り方だけしてもなあ?というのが正直なところですね。
 こういう思い切った、DVDが発売される環境になってきたのならば、色々な「充実」を見せて欲しいなあと思いました、12時間超えの時間は勿論、「充実」だったんですけどね。
 そういえば折よく、「ジブリ汗まみれ」に「庵野秀明」さんが出演されていましたね、とても面白かったのでおすすめです、まだ未聴の方がいましたら、ポッドキャストを配信中ですので、ぜひ聞いてみて下さい。
 ラジオ内で鈴木敏夫さんがポニョの前に宮崎さんが「ディズニー・チャンネルをずっと見ていて・・・」と言う話が興味深かったです。
 そろそろ、誰か「宮崎駿」というアニメーターにまとまった形のインタビューを、後世に伝え残す意味でも、して欲しいなあと思いますね、ほんと。
 まあ、自分が読みたいだけですけど。 
 でも、これを読んでいるあなたもきっと読みたいはずです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


「BATON」、を見た。

2009/12/23 00:33
 横浜開港150周年記念イベント「開国博Y150」で、上映されていた「BATON」を見ました。
 見る前は、ハッキリ言ってあまり期待はしていない状態だったのですが、これが予想外に面白くって、結果的にはストーリー自体も中々楽しめる良い作品でした。
 お話自体はよくあるSFと言えなくもないんですが、それをどんな見世物にするか?という部分のアイデアが、突飛な世界設定のキャラクター設定とともに豊富に描かれていて、面白かったです。
 このお話の続きがあるようなのなら、是非とも見てみたいですね。
 映像的には、全編にわたって「ロトスコープ」を使用しているんですが、完成度の高い映像とは言い難い感じですかね。
 カタカタしすぎている感じがしましたしね、それが味になっているのなら問題ないんですけど、どうなのかなあ・・・・・・
 役者さんの癖見たいなものはそれなりにひろえている感じはしたんですが、映像としての完成度を言えば問題が多いのかなあ。
 登場人物は映画やTVの役者さん中心の作品ですが、顔を似せる必要性はあまり感じなかったような・・・・・・部分的に表情も良い所を拾っているのは感じましたが、でもメイキングを見ていると音声が別撮りではなく、動きと一緒に録音されているような気がするので、演技のテンションの問題なのかも。
 上戸彩さんがちゃんとロボットみたいなスーツを着て、素材の演技をしていたのには当たり前のことですが勝手に感心しました。
 挑戦的なことに、立体的なカメラワークのカットが多いのですが、キャラクターの立ち位置のズレが目立ちますし、単純な奥行きのある動きでも、素材をつかいこなせていない、単調な画面になっっちゃっているかも・・・・・・・そして、特にエフェクトがショボイ。
 と、散々な事を言っていますけど、世界観設定を含めたアクションのアイデア、とその描写には最近の映像作品には無い思い切った部分があって、かなり面白かったです。
 これ、作画でもっと良い人を連れてこれてたら、どんな感じになっていたのかなあ。
 等と少々偉そうなことを思ったりしましたが、第一話の意外性と笑いのあるアクション描写は本当に面白かったですよ。
 バリエーション豊富な人物アクションが魅力で、「北村龍平」さんの得意なアクション物になってました。
 個人的には、北村龍平さんの映画のワイヤーアクションの釣ってる感があまり好きじゃなかったんですけど、アニメだと意外に気にならないですね。
 他の部分の実写なら違和感なく見れそうな部分で違和感が出てしまっていたのが残念でしたけど(例えば決めでスローモーションになるとか)。
 1話目にずーっと落下しながらのアクションがあって、「十兵衛ちゃん2」みたいだなあと思ったら、本当に「長濱博史」さんが参加されていてビックリしました、そしてちょびっとだけホっとしました。
 ストーリーボードは海外の方と、長濱さんの連名なんですけど、アクション部分にも、ドラマ部分にも、どちらにも面白い部分があって、長濱さんがどれ位ストーリーボードの作業に関わっているのかが気になりました。
 個人的に、見ていて「鉄腕バーディ DECODE:02」の7話を思い出したりしました、色々と似ているんですよね、たまたまでしょうけど。
 なので、岩井俊二さんにはバーディーを見て頂いて、ぜひ次があるようなのなら「山下清悟」さんや「沓名健一」さんを呼んで作って頂きたいですね!と勝手な妄想を抱いたり抱かなかったり・・・・・・
 個人的には、これだけで終わらせるのはもったいないので、機会があれば続編か、近い手法を使った作品を岩井さんと北村さんには手がけて欲しいなあと思いまいた。
 
 

プロデュース 岩井俊二

Animation Team

Animation Production Company

Wild Hoar Media

Animation Studio

Titmouse

Animation Producer

Eric Calderon

Animation Associate Producer

朽網泰匡

Executive Producers for Titmouce lnc

Chris Prynoski    Shannon Prynoski

Animation Directory

Mark Brooks

Art Director

Antonio Canobbio

Character Designer

Patrick Awa

Storyboard Artists

Todd Harris 長濱博史

Layout Artists

Mallissa Levengood   Mart Taylor
Yvonne Annette Huckell

Animators

Edward Artinian        Nick Bane
Dom Dijulio          Eric Erickson
David Gerhard          Ryan Khatam
Melissa Levengood       Xiong Liang(Ben)Li
Joseph Nate Lowe       Mike McCraw
Hayden Mills       Michael J.Moloney
Will Patrick       Jeremy Polgar
Michael Roush       Jody Schaeffer
Travis Simon        Shiloe Swisher
Matt Taylor       Luis F. Urteaga
Joshua Wysocki

Compositors

Ateve Kellener Evelyn Lee Keith Kin Yan

Background Designers

Aauren Airries Augsto Abrranco

Background Painter

Otto Tang

Dialogue Editor

新庄 圭





実写撮影

実写撮影プロダクション

円谷プロダクション

撮影

古谷 巧

美術

山崎 輝

衣装

杉山敦子

キャラクターデザイン

後藤正行

企画・制作

Rocwell Eyes

脚本

岩井俊二

監督

北村龍平

多かったんで、抜粋です。キャスト意外のスタッフは、各話共通でした。
記事へ面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


映画「マイマイ新子と千年の魔法」を見てきました。

2009/12/17 00:40
 
画像



 「アルプスの少女ハイジ」を見て、とても印象的な山のシーンが二つありまして、一つは初めてハイジが山の上の牧場まで行った時に見た山、もう一つはハイジがフランクフルトから帰ってきて、また初めて牧場に行った日に見た、湖の向こうにある山。
 その二つのシーンを見た時に、凄く不思議な感じがしました、紙に描いた一枚の絵がどうしてこんな風に見えるんだろう?と。
 「こんな風に」と曖昧に書きましたが、実際はどんな風に感じたのか?うーん・・・・・・そうだなあ、自分の中でそういう「風景を見た記憶」になったというかなんというか、ちょっと曖昧すぎますかね?
 ただ、それが「カメラで写した絵なんだな」と感じる以上の物だと自分が思ったのは確かです。
 アニメって不思議だなあと思うのが、「絵が動くのがアニメなんだ」としたら、この二つのシーンは動かない絵しか写ってないシーンなんですよね。
 でも不思議な事に、絵自体が動いているわけじゃなくっても、多分そのカットは「アニメ」なんですよね。
 例えば、その前後を取っ払っちゃって、その絵だけをカメラでゆっくり撮影していく、そうするとそれはもう「アニメ」じゃない、絵を写している「映像」じゃないですか。
 だから、「これはアニメだ」っていう感覚というのは不思議な物だなあと思います。
 「動いている所」にも「動いていない所」にも潜んでいる、不思議な感覚ですよね。
 もちろん、そこにはアニメ特有の撮影技術の存在というものもあって、それも無関係ではないと思います。
 ただ、ハイジで言えば、動く絵があって、物語があって、そこにいる登場人物たちがそれまでに積み重ねてきた時間があって始めて、そこに一枚の景色を描いた絵が画面に映った時に、例えそれが動かない絵だとしても「アニメ」になる瞬間がある、
 面白いなあと思います。
 えーっと・・・・・・これってハイジじゃなくって、マイマイ新子の感想じゃないですっけ?(笑)
 すいません、でもですね、自分は「マイマイ新子と千年の魔法」を見た時にすごく「アルプスの少女ハイジ」の事を思い出したんです。
 そしてもう一つ、自分が思い出した記憶があって、少々個人的なお話になって申し訳ないんですが、自分の父親の事を思い出しました。
 自分の父親というのは、まああまり良い父親だったとは言えない様な人間でして、亡くなってもう何年か経つのですが、生きている間も亡くなってからも良い記憶というのは正直言ってあんまり無いんですよねえ。
 マイマイ新子のの監督の「片淵須直」さんが「マイマイ新子と千年の魔法」のもう一つの原作としてtwitterであげられていた「光抱く友よ」という短編がありまして、映画を見た後に読んでみたんですが、この小説の中に登場する、松尾という女の子みたいな気まずい思いを、父親の生前に何度も抱かされた事があったよなあと身につまされましたね(笑)
 まあ、自分の父親はそんな感じだったわけですが、その父親の生まれ故郷と言うのがこの映画の舞台でもある山口県なんですよね。
 一度だけ、ずいぶんと小さい子供の頃に行った記憶があるんですが、山があって海があって・・・・・・それだけ、という何も無い所だなあという印象でした。
 まさにこの映画の舞台になっているような場所だったと思います、実際に地理的に近いかどうかは分かりません、年代的にもこの映画に出てくる子供たちというのは自分の父親の年齢に近い世代だと思います、これも実際に自分の父親がいつ生まれの、何歳だったのかは知りませんが。
 そんな感じの不肖な息子の自分なわけですが、この映画を見た時に、その風景が今自分が住んでいる景色に近いなあと思いました。
 映画公開前まで見ていたメイキングブログで(映画公開からの文はまとめてみようと思っていたんですが、アニメスタイルの方はついついみちゃってました(苦笑))、麦畑のロケーションハンティングに行ったのが埼玉県だというのは事前に知っていて、家の地元の風景みたいだな、とブログの写真を見ていて元々思っていたのですが、それが映画の中で山口県の風景として出てくるのはとても不思議な感じがしました。
 自分が今すんでいる所には小学四年生の頃に引っ越した来たのですが、初めてこの土地に訪れたのは小学三年生の時、ちょうどこの映画の主人公達と同い年の頃ですか。
 まだ家を建てる前で、その時はその場所には、小さな畑がありました。
 その時の印象は何にも無い所に来ちゃったなあ、とかそれ位しか思いませんでしたが、草ぼうぼうの地面の中に小さな鳥の巣と中には雛がいて、空の上をグルグル回りながら、親鳥が鳴いていたのを覚えています。
 この映画の最初の方でも現代(っていうのは変ですかね?)と千年前で鳥のさえずりでつながっているシーンがありましたが。
 それを見ていて、ふとこの映画の中で自分の中にある二つの故郷の風景がつながったような気がしました。
 映画の終盤でとある登場人物が「今、子供の頃の父ちゃんがこの前の道を走っていった」というような台詞を言うシーンがあるんですが、自分にとっては本当にそういう気分になった映画でした。
 大層個人的な話で申し訳ないんですが、この映画を見た事は、生まれて初めて自分の父親の事を身近な人間として感じられた瞬間かも知れません、新子みたいに千年前の世界を想像することはできなかった自分ですが、この映画を見て何十年と何百kmの距離は飛び超えられたみたいですね、ちょっと涙が出ちゃいましたよ。
 作画マニア的にはどうみたかーというと、この映画には色々な質感の絵が出てくるんですけど、それが面白かったですね。
 人物の細かい色指定、背景画との親和性など凄く繊細な画面になっていたと思います。
 人物の色が凄く細かいんですよね、足の裏だけ色がちがったりとか、汚れている所とかも細かく色分けされていて、おおーとか思いながら見てました。
 ウィスキーボンボンを食べちゃう辺りで、お母さんが家のなかに入ってくる所のお母さんの足だけが写っている所があるんですけど、逆光を意識した感じの色彩設定で、なんか肌のはりとか小麦色に焼けた感じの照りとか見えるようで何だか色っぽいアニメだなと、足を印象的に描く場面の多い作品だったので、なんかなりげなく兄フェチなアニメだなあとか(笑)
 ちょっと話変わりますけど、あのお母さん可愛いですよね(笑)
 アニメスタイルでの記事を見ていると、画面ごとに細かく質感を意識した処理が考えられていて、作画に興味のある人には、そういう映像自体の手触りを楽しめられるアニメだと思います。
 デジタル制作の作品なんですけど、やっぱりアニメって手作りなんだなと感じますね。
 それから音、これは凄く印象的でした。
 音楽も良かったんですけど、効果音が良かったんですよね。
 画面の中に見えない部分まで、色んな音がしていて、風景って景色やそこにいる人だけじゃなくって、「音」や「匂い」もその風景を印象付ける物の一つじゃないですか。
 だから、夜中の田んぼでカエルが合唱しているのなんて聞くと「ああ、田舎っぽい音だよなあ」なんて思えて良かったですね。
 この作品の画面を見ていると、「アニメ」の画面としてひとつの「風景」をどう作り上げるか?と言う部分に力が注がれていて面白いんですよね、手作りとさっき言いましたけどそういう血肉の通った物を感じられるような気がしました。
 それが絵だけでもなく、音だけでもなく、例えば背景だけが写っているように見える場面でも、さりげなく動いている生き物や植物が色々とあったり、そこに見えない物まで音としてそこに出すことで、それが一つの風景としてまとまった印象のものになる、そういう感覚が面白かったです。
 良い映画なので、まだ足を運んでおられない方には公開している劇場まで足を運んで、観に行って欲しいですね。
 自分もかなり遠くの映画館まで見に行きました、という事でここまでは未見の方に対する自分なりの映画の感想でした、以下からは映画を見た方に対する自分なりの感想を書いていきたいと思います。












 個人的になんですが、「マイマイ新子と千年の魔法」は「点」と「線」の映画だと思いました。
 新子が線で紀伊子が点、そして受け手の自分自身も点のような気がします。
 いきなり飛んだ話ですね、分かりにくい!と言うことで見ていて自分が思ったことを色々と書き連ねてみようと思います。


 
 まず最初に、新子の想像力する世界が、知識から構成されているのが気になったんですよね。
 元々はおじいいちゃんの一言から「千年前の世界」を想像するじゃないですか、おじいいさんはそれを実際に研究している人から確認して、後々新子も「千年前の世界」を研究している人に確認をしますよね。
 新子の「想像する物」って色んな質感やきっかけでふくらんだものだと思うんですけど、一番最初のクレヨンか色鉛筆的な子供の落書きが麦畑の中に現れて、どんどん千年前の世界が目の前に広がっていくカット。
 子どもが現実の風景をキャンバスにして空想を広げていくような場面ですけど、それを見ていて、空想の世界も最初は新子が手にできる画材から出来上がっているんだなあと思ったんですよね。
 河口があって船が行き来していたという空想の風景も後で出てくるように、自分の家が船のように見えるでしょ?という問いかけとつながっていると思うんです。
 色鉛筆は、紀伊子の初登場の場面で出てきましたけど、それが何となく象徴的に使われているような気がしました、なんとなくですけどね。
 そういえば、その学校の最初のシーンを見た時に、ちょっと不思議だったんですけど、紀伊子は転校生だけど、転校してきたところから始まるんじゃなくって、もう転校はしてきているという前提があって話が進んでいますよね、
 この作品ってそういうところが多くって、出会いみたいな最初の部分が「特別な物」として描かれていないのがちょっと変わったアニメだなと思いました。
 アニメって往々にして、特別な体験を共有する人とは、特別な出会いをしたりするものじゃないですか。
 でも、この作品では特別な出会いも、特別な体験の共有もあるようで無いような気がするんですよね、少なくとも主人公の新子と紀伊子の二人には同じ時と場所で描かれる出会いと別れが見えてこないような気がします。
 そういういわゆる額縁的なドラマチックな関係っていうのが見えない不思議な作品だなあと自分は思いました。
 だから、別れもドラマチックじゃない、「マイマイ新子と千年の魔法」という映画は、出会いや別れを描くための作品じゃないのかもしれない、と思いました。
 それで、新子を「線」、紀伊子は「点」と先程言い表しましたけど、印象的だったのが、新子が走る場面はいっぱいあるけど、紀伊子が走っているのは新子に手をつながれて走っている所くらいしか無かったと思うんですが・・・・・・
 それは、凄く印象的でしたね。
 紀伊子が誰かに手を引っ張られて初めて走れる子なんだなというのが。 
 二人のことを「点」と「線」で分けましたけど、「点」というよりは「点線」なのかなあ、そこをおっかなびっくり歩いているのが紀伊子なんですよね、自分の印象だと、だから走れないというか、なんというか・・・・・・ 
 だからラストで紀伊子が手をふっているのって、凄く当たり前のことなんですけど、重要なことだと思うんですよね。
 あたりまえにどうつながれるのか、という事が。
 映画の途中までは紀伊子は新子に多少なりと依存しているような部分があったと思いますし。
 おっかなびっくり歩いている、というのは映画の最初の方で実際に有りましたよね、道の向こうから牛車が来ると新子が言う所で、新子は「見えているから」普通に走ってよけられるんだけど、紀伊子は「見えないから」おどおどしながら避けると言うか。
 ここ、牛車が絵巻物みたいな質感で出てきますけどこれって原作を読んでわかったことなんですけど、新子の家は歴史のあるこの地域の元地主なので、こういった絵巻物のような先祖の遺産を持っているという設定が裏付けとしてあるんですね。
 だから、これも新子が知識として知っていることが、現実と「地つなぎ」になっているっていう描写に見えるんですよね。
 その道の向こうに千年前を想像出来る新子は、今の時間から過去や未来がつながっていることを理解出来る人間なんだと思います。
 それでいうと紀伊子がお母さんの事が分からない、思い出せない、と言う感覚は人とのつながりや自分のルーツが分からない、ちょっと決め付けかもしれませんが、自分がどうなっていくのかが分からないと言うことなのかな、と思います。
 だから、映画の途中までの紀伊子がお母さんの持ち物を色々と持ち出す行為って言うのは、お母さんを思い出せないことを物理的な物で埋めているという感覚なのかなと思うんですよね、周囲をお母さんの持ち物で埋めていっているようなところがあると思うんですよね。
 でも、それはお母さんの死んだ事、っていうのを受け入れられていないとか、お母さんの存在を想像出来ていないと言うことなんですよね。
 今、そこに存在しない事を実感することが出来るとしたら、想像することだけなんですけど、それができない。
 それが新子と紀伊子の千年前の世界との関わり方の違いなのかなあ?と思うんですが。
 だから、紀伊子が過去のお母さんの死を想像できない事、つまり紀伊子が身近な死を想像できない事の結果が、「お母さんの香水」で金魚を死なせてしまう事につながっているんじゃないかな、と。
 というのも、この映画にはいくつかの「別れ」があって、というか殆どの場合は、それは「死別」なんですよね。
 
 1「紀伊子とお母さんとの別れ」
 2「ひづる先生との別れ」
 3「金魚の「ひづる」との別れ」
 4「タツヨシの父親との別れ」
 5「新子の別れの手紙」
 6「タツヨシとの別れ」
 7「新子のおじいさんとの別れ」
 8「新子の引越し」
 
 と言うのがあるとおもうんですけど、1は実際には描かれないですよね、2は新子とひづる先生が直接別れ話をする処で紀伊子は出て来ないし、3の金魚は死んだ所は出て来ないで、死んだ後に出てきます、そこにも新子と紀伊子は同時には居合わせていない形になっているのかなと思います。
 4は言葉として出てくるだけで、誰も体験していない事ですね。
 5は新子は紀伊子から隠れて、手紙だけ送るんですよね。
 6も新子しか体験していないことで、その後の言及も無いですよね。
 7もあれだけおじいいちゃん子だった新子だった割には、言葉として出てくるだけで、実際に描かれたのって実は引越していく新子とそこに残った紀伊子の別れだけなんですよね。
 この別れの中で、新子と紀伊子が共通して体験している所が描かれるているのって、多分8だけなんじゃないかなあ。
 5も一方的なもので紀伊子は、意味を理解出来ていないんですよね。
 だから、「別れ」っていうのはこの作品の中では、本筋じゃないというかそこが一番大切な物じゃないんじゃないかなあと。
 で、新子と紀伊子には「出会い」も実は描かれていない、だから上でいったようにこの映画の中で重要なのは「出会い」と「別れ」意外の「何か」、なんだろうなあと思いました。
 そもそも不思議なのが、金魚の「ひづる」が死んだ時に、紀伊子の事を誰も責めずに、受け入れるんですけど。
 金魚が生き返るかもしれないと信じるという、矛盾を持っていますよね。
 そこに来て、タツヨシのお父さんが亡くなると言う事件が起きて、それに対して色んな人達が自分の立場からそれを想像するんですよね、誰もタツヨシのお父さんのなくなった所は見ていないので。
 例えば、お母さんは人の親として想像するんですよね、「そういう年頃の子どもがいる人なのよねえ」と。
 港町のクラブの大人たちは、タツヨシのお父さんの死を受け入れているかどうか、どうかというと、これはよく分からないんですけどね。
 それよりも、タツヨシに知らなかったお父さんの事を伝える役目の方が大きいんじゃないかなあ。
 タツヨシが自分の知らなかった、お父さんの子供の頃の思い出を聞いて、そこから想像するんですよね、子供の頃のお父さんの事を。
 一方その頃、紀伊子も子供の頃のお母さんの写真がきっかけになって、千年前の世界を実感している。
 タツヨシも紀伊子も「別れ」が想像のきっかけになっているんですよね。
 紀伊子は今一番心を寄せている、新子から唐突に一方的な別れを切り出されて、初めて心の中で新子の事を「思う」と言う事なのかなあ。
 誰かを思う心、・・・・・・誰かを思いやる事で初めて、紀伊子の想像する心が生まれる、その想像が「千年前の世界」を自分の中で創り上げていく、創造につながっているんじゃないかと思うんですよね。
 だから、その思いやる心というものが、千年前の世界で諾子とつながった、紀伊子が千古の家族のことを同情や哀れみでもなく、思いやるという千古に対しての接し方につながっていっているんじゃないかな、と思いました。
 だから紀伊子は最後に、笑顔で新子に別れを告げられるんですよね、お母さんの持ち物で自分を囲ん出いた時とは違って、そばにいなくても、新子の事を思いやれるから。
 なんて思いました。
 この紀伊子にマイマイがついて「千年前の世界」の諾子としてその世界の人間になるというシーン、凄く面白いなあと思ったのが、紀伊子がベッドの上に寝そべりながらつぶやく言葉と、そこに映る映像という物の取留めの無い感じが凄くいいなあと重いました。
 この映画の中にバラバラに散りばめられた 時間も 場所も 過去も未来もバラバラな言葉が紀伊子という女の子の中で一つにつながっていく瞬間を見ている気がして。
 その一つ一つはバラバラだった言葉が、一人の人間の中でつながることによって、意味のある文章になるように、その人が持っているバラバラな気持ちや思いや知識や体験が連想していって一つにつながる想像を生む瞬間を見ているんだなあ、なんて思いました。
 点が線になった瞬間ですよね、ポツンポツンとそこかしこに散りばめられた点が、意味のある形として結びつながれた形、それが紀伊子の「千年前の世界」なんじゃないかなあと。
 この映画を見ていて、言葉って言う物の中には、例えば色も音もあって、時間もある。
 その言葉からなにかを想像するきっかけにもなるし。
 言葉から生まれるのは文字の意味だけではなくって、その人が積み重ねてきた物が映り込んだ形になるもんなんだなあと思いました。
 この映画は原作とはぜんぜん違う作品になっているんですけど、それが自体が凄く魅力的な物だと自分は思いました。
 メイキングブログ等々を読んでいて、片渕さんがこの作品を作るにあたって、小説をそのままアニメ化するのではなく、独自の解釈を持って、片渕版「マイマイ新子」を作っていった過程等を読んで、勝手に思ったことなのですが、その試行錯誤自体がこの映画に似ているような気がしました。
 その試行錯誤の結果が、この映画独自に創造した千年前の女の子の諾子何じゃないかなあと思います。
 何かのインタビューで前に細田守さんが「映画製作と映画は似る」見たいな事を言ってたいんですけど、「マイマイ新子と千年の魔法」を見ていると、本当にそうなのかもなあと思ったりしました。
 知識や想像があって、ゼロから創造の世界を創り上げていく行為自体が、この映画の千年前の世界の存在そのものみたいじゃないですか。
 受け手である自分にとっても、この映画ってちょっと複雑で、受け手にしか見えていない、演出みたいなものもあるじゃないですか。
 例えばモンシロチョウ(でいいのかな?)が、映画の最初のところで新子や紀伊子の後ろを過ぎったり、最後の方の夜道でも、さり気なくタツヨシと新子(だったと思うんだけど)の後ろを過ぎってたりとか、していますよね、なんとなく「予感」をかんじさせるような使われ方だなあとか思いました。
 タツヨシがいつも帽子をかぶってうつむいている理由も、バー・カリフォルニアでタツヨシが父親の話をするところで初めてチラッとだけ帽子のツバで隠れていた所に傷があって、タツヨシは父親に暴力を振るわれていたのかもしれない、とこれもさりげなく描写されていて、答えは受け手自身が想像しないといけないんですよね。
 新子や紀伊子のような映画の中の登場人物たち、この映画を作った人達、それどころかそれを見ている受け手自身もこの映画の中に映っている物から、想像をしないといけない、自分にはそういう映画のような気がしました。
 この映画を観た体験って、受け手の自分たちの中にあるバラバラな点をこの映画を通してつなげていく過程だったんじゃないかなあなんて思ったりします。
 自分で言えば、父親の故郷や、今自分が住んでいる風景、「アルプスの少女ハイジ」を思い出したり、人によっては「となりのトトロ」を思い出した人なんかもいたみたいですね。
 それって、やっぱりその人が生きて来た時間が重なって見えているという事だと思うんですよね。
 この映画を見て、見たことも無い風景を「懐かしい」なんて、思ったりするような感覚がちょっとわかったような気がします。
 誰かに創造された、それがたとえ「作り事」であっても、それを受け取った人が何かに照らし合わせて、新たな想像を生むことで、特別なもの、実感出来る存在に変わっていくんでしょうね。
 そういう物が何かの形でつながる事で、見たことの無い景色でも、
「懐かしい」と思える瞬間があるんじゃないかなあ。
 この映画は、自分にとってはそういう作り事だけで創造されている、アニメっていう表現そのものについて、改めてその面白さを感じさせてくれる作品でした。
 それから、この作品を見て、意外だったのが片渕さんの演出作品の中でも意外な印象を持っていた、「ブラックラグーン」の感覚というものがちゃんと入っていた事で、他にも「千年前の世界」っていうキーワード自体が「アリーテ姫」を思い起こさせる、なあと思いました。
 まだ見ていない人がいるかも知れないので詳細は省きますが、この作品で片渕須直監督に興味を持たれた方には、「アリーテ姫」と「ブラックラグーン」をすすめたいですね、それから「名犬ラッシー」も。
 タツヨシの扱いに関しては、現代的な感覚だなというのも感じていて、それに対する、新子の別れの言葉っていうのは、今の難しい子供の立場に対する、この作品なりの回答なのかなと思います。
 お父さんの遺伝子の話も含めて、ですね。
 子供はいつか大人になるけど、大人も昔は子供で、成長していくことで変化する、この二つの存在は二項対立の問題じゃあなくって、時間としてつながっているんですよね。
 子供の向こうに大人がいて、大人の向こうにも子どもがいて、新子は過去の世界を想像出来るように、未来の世界も想像することが出来ているのかもしれないですね。
 今生きていることが、明日の自分につながっている、事をじっかんしているんじゃないかなあ、だから「明日の約束」が新子にとってきっと大切なものなんですよね。
 生きることも死ぬことも大きな時間の中でつながっているからこそ、なくなった人間を身近に感じられる心がある。
 映画のラストで、新子と紀伊子がおじいいちゃんに色々なことを教えてもらっている様子とその別れがあったというダイジェストが有りますけど、この一連のシーンはタツヨシと新子が大人の世界に、それに紀伊子が「千年前の世界」へ行くという冒険から、現実の生活に軟着陸している、感覚だなあと思いました。
 観客にとっても、軟着陸的な感覚の映像かな、と思います。
 事件ではなく、生活として積み重ねられる時間こそがこの映画の重要な何かだからこそ、現実に軟着陸していく、この一連のシーンは必要なのかもしれないですね。
 でもまあ、軟着陸と行っても、凄くこのアニメに自分は引き寄せられちゃっていのたので、不思議な体験をした感覚でしたよ。
 映画館に一人ぼっちで、見ていたので・・・・・・公開前に映画館の係員の人が上映の挨拶に来たんですけど、もう目と目があって、心まで通じ合っていたと思いますね・・・・・・「気まずい」、と(笑)
 見終わった後に、嘘みたいに静かな劇場をふりかえって、「ほんとに帰ってきたのかな?」と不安になる位でしたからね。
 「帰ってきたのかな?」と思って、改めて変なことを考えた、と思いました。
 行ってもいないのに、どこから帰ってきたんだ?と。
 まあ、映画館には来ていますけどね、遠かったなあ〜、10駅以上離れてましたから。
 でも、それでふと思ったんですよね、そうかこの映画自体が自分にとっての、思いでの一つになったんだなあ、と。
 この作品を見る人は、皆見る前から、タイトルになっている、「魔法」について不思議に思うんじゃあないかと思うんですが。
 見合わった頃には「魔法」について不思議じゃなくなっていそうですよね。
 それ自体がとても不思議な事ですけど。
 そういうアニメだと思います、「マイマイ新子と千年の魔法」良いアニメでした。
 
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 5


現在配信中の「佐武と市捕物控」から、個人的見どころ紹介。

2009/12/12 18:57
6話「死を呼ぶ子守唄」

 「切られるよりも、痛ぇだろ?」

 「佐武と市捕物控」には時代劇としての魅力が有ります。
 気風の良い江戸っ子の佐武と対照的な市の小粋な台詞のやりとり。
 市井の人々の人情あるれる生活の様子。
 道々に植わった木や、川の多い風景に、長屋等々
 時代的な様々な差別、事件の裏と表にいる人の心と心。
 そして、日本的な建築物。
 この作品には印象的な画面構成が多く出てきますが、その多くが日本的な建築物の特徴を積極的に取り入れています。
 この作品ではそうした日本独自の建物を時には立体的に、時には象徴的に見せる事があり、その視点の多様さが面白いところです。
 この回でも繰り返し出てくる、河川に位置する材木置き場(もしくは建築現場)、そして「フスマ」(障子・戸板や雨戸も含む)。
 「フスマ」はこの作品の中でこの回だけに限らず、実に印象的な小道具として作用しています。
 西洋風のドアほど裏と表の明暗をくっきりとは分けることの無い薄い「壁」でもあり、「扉」でもある曖昧な境界線ですが、使い方によってはじつに魅力的なモチーフになる存在なのだなとこの作品を通して改めて思わされました。
 勢い良く開け放たれる小気味よい音を立てる舞台道具でも有り。
 時にはフスマとフスマの隙間から何事かを覗き見。
 人と人をも隔て、光と闇を作る事もできる「フスマ」。
 白黒の映像であるこの作品では、市にとっての光と闇を印象的に演出することも多いです。
 事件を通して、人間の光と闇、その曖昧な薄明を描き出すこの作品そのもののようですね。
 そして「時には立体的に」と書きましたが、今回は「俯瞰」が印象的に使われています、そこら辺にも注目して見てみると面白いのではないかと。
 それから、この回は「村野守美」さんの絵個性が強く出ている回なので、後々村野さんの演出回もありますので、その時に村野さんの絵を思い出してみると面白いかもしれません。


7話「涙の逆手斬り」

 「メクラでも佐武やんと一緒なら」

 この回でも「フスマ」は印象的な小道具として使われています。
 二人の医者を対照的に描き出す、小道具です。
 一人は細工の凝った揃えのフスマで統一していて、もう一人は普通のフスマに所々錦絵が貼って有ります、これはフスマの穴を塞いでいるんですね、恐らく。
 そして、この回には色々な「目」が出てきます。
 まず最初に出てくるのが、「人殺し」の目、ここからタイトルが出てくるまでのカット割りは実にカッコ良いですね。
 そして真犯人の「目」がどこで見えてくるか、ここぞと言う所だけで使う、この使い方も実に上手い所ですね。
 そして、さり気なく色々な物が映り込んでいる佐武の目、ここも注目して欲しい所です。


8話「魔の当たりくじ」

 「坊やあ、おじさんよりつぇえなあ」

 この回は演出として段取りなどに関して、ちょっと荒いところも多いんですが、個人的には意欲的な演出が多く楽しんだ回です
 全体的に、かなり斬新な画面構成が多いですね。
 フスマから何者かが覗いている絵からカメラが下がっていくと、その男の見た目になったり、佐武が富くじ屋の死体を見つける所でも上下の画面が狭まったり、広がったり(今のシャフト作品でシネスコになるような感じの画面です)、デザイン的な白黒の絵の区切り方も面白いです。
 市が敵のところに乗り込んでからの、場面もずいぶんと実験的な見せ方が多いですね。
 市に一斉に切り捨てられ雑兵の体が白くなってシルエットが浮き彫りになると、その飛んだ所に黒いシルエットを出したり。
 最後の一騎打ちの段になると、折れ曲がった廊下を広角レンズ風のパースを強調した画角で見せているのが面白いです。
 佐武と市は時代劇としても、この時代の映像作品としても珍しいんですが、広角レンズ風のパースを強調した画面が多いんですよね。
 それからこの回だけ何故かOPもEDも違ってOPの方は本編映像の編集版らしきものだったりするのですが、それはそれでカッコ良いので注目です。
 そしてED、歌詞がついているんですが、声と音があってないような、ちょっと変な調子の歌になってますね(笑)
 
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 23


GYAOで「佐武と市捕物控」、再配信!

2009/12/08 22:57
 皆さ〜ん、GYAOで「佐武と市捕物控」の再配信が始まっていますよー!
 たまたま今気付いたので報告です。
 なんと、1〜4話の配信は明日の正午までのようなので、気になる人は今すぐ飛んでいって見て下さい!
 まあ、また一回りしたら再配信するかもしれませんが。
 個人的には大々的におススメな作品です、というか最近途中までビデオを買ったばかりなんですけどね(りんたろうさんの演出回がある辺りまで)。
 40年前に作られたアニメとは思えないようなスタイリッシュな演出で作られた作品です。
 ご興味のある方は是非一度ご覧になってください。
 個人的には「りんたろう」さん、「村野守美」さんの演出回に20話がおススメです。
 とりあえず配信が明日までなので1話と3話だけでも見て置いていただけるとありがたいです。
 
 「GYAO」 「佐武と市捕物控」配信ページ↓

 http://gyao.yahoo.co.jp/p/00620/v06967/
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


続きを見る

トップへ

月別リンク

帰ってきた、水池屋無呂具堂。/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]