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帰ってきた、水池屋無呂具堂。
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何故か、「あしたのジョー2」が日本TVで深夜に再放送されるそうですよ。
もう見ている人も見たこと無い人も、見れる人は一緒に見ましょう!
http://tv.yahoo.co.jp/program/6403/?date=20091031&stime=0435&ch=8210


Twitter始めました。
http://twitter.com/mizuikeya
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アニメの○○の話、さん回目  「アニメの食べ物の話」のつづきのつづき

2009/11/20 00:37
ここで再び現代に、ここからはちょっと多いですが省略しないでカットを並べてみて見てみましょう。
 金は再び、ジョーに対して苦言をていして(というかどっちかというと嫌味ですね)、去っていきます。

 
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 と、ここまで本編の映像を抜き出して、見ていただいてきました。
 では、ここで改めてここまでの流れを整理してみましょう。
 どう整理するか?
 前回の日記で自分は「色の変化」そして「光の変化」が丁寧に描写されている、と書きました。
 という事で試しに、今までの流れから「色」と「光」を抜き出して、並べて書き出して見てみましょうか。

 
 金の顔が赤い紅茶に映っている
 ↓
 ジョーが拳を握り締めている(パラの色は「青」)
 ↓
 紅茶に映った金が自分の過去を話し始める。
 ↓
 回想映像に入る。映像は全体的に黄色いが炎の色は「赤」。
 ↓
 金は「黄色」のトウモロコシを母に差し出すが、母はトウモロコシを受け取る前に死んでします。
 ↓
 空爆にあった母は「赤い」炎に包まれて死ぬ。
 ↓
 屍の山の中を一人逃げる金、死体は「黄色い」が流している血は「赤い」
 ↓
 映像は現代に戻って、対峙する二人の向こうの窓に「赤い」夕日が見える、夕日の位置はサッシを挟んで二人の真ん中。
 ↓
 対峙する二人の顔のアップ(パラの色は「赤」)
 ↓
 再び映像は過去に、画面は「黄色い」。
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 金は水溜りに横たわっていた男を殺してしまう、男から流れる血は「赤」。
 ↓
 水溜りに男から奪った食料を食べる金と太陽が映っている、映像は黄色い。
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 再び現代。画面いっぱいに「赤い」夕日。
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 対峙する二人の影は前よりも暗くなっている、夕日の位置は金の方に偏っている。
 ↓
 ジョーの顔のアップに「赤い」入斜光が差し込んでいる。
 ↓
 「青かった」金の瞳が「赤く」なっている。
 ↓
 再び過去の映像、映像は「赤く」なっている。
 ↓
 夕日を背に軍人の男が殺された男の持っていた食料の包み紙を振り上げている。
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 その包み紙を向こうで、「赤い」夕日を背にした金が嘔吐しはじめる。
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 再び現代。「赤い」夕日はジョーの方に偏っている。
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 ジョーに降り注ぐ「赤い」入射光。
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 金には入射光は射していない。
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 俯瞰の絵。退治する二人。
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 再び、画面いっぱいの「赤い」夕日。
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 金の顔のアップに「赤い」入射光が差し込んでいる。
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 ジョーの顔アップには入射光が無く、「赤い」パラだけがかかっている。
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 対峙する二人、窓の向こうの「赤い」夕日は、更にジョーのほうに偏っている。
 ↓
 ジョーの背の向こうに金の顔が見える、「赤い」入射光が差している。
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 正面からのジョーの顔のアップ、入射光はあたっていない。
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 金の顔にクローズアップ、「赤い」入射光が射している。
 ↓
 再びジョーの背の向こうに金の顔が見える、変らず差し込む「赤い」入射光。
 ↓
 立ち上がって、椅子にかけていたコートを持ち上げる金、コートのすその向こうに見えるジョーの顔は影に沈んでいる。
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 立ち上がってコートを着ている金、左斜め上から「赤い」入射光が差し込んでいる。
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 ジョーの正面顔の向こうを、背を向けた金が去っていく。ジョーには「赤い」入射光が差し込んでいるが、顔は暗い影に包まれている。しかし目だけが影に落ちていない。
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 金が去った店内は暗闇に包まれる(上にあった「俯瞰の絵」に近い構図だが、金の去った方に隙間が広がっている)。
 ↓
 暗闇の中のジョーの顔のアップ、瞳だけが影に落ちていない・・・・・・
 
 
 と、こうして整理してみると、この一連のシーンに出てくる「赤い色」は重要な物のように思えてきます。
 まず、「赤い紅茶」に映った金の顔が話すことから始まる、この一連のシーンの中で「赤い」色は血や炎のような、人の死につながっている物に使われていることが分ります。
 そして「夕日」が作る、「赤い光」と「赤い影」。
 これらにはどのような、関係性があるんでしょうか?
 青かったはずの金の瞳は、過去の忌まわしい記憶の真相を語りだす瞬間に「赤く」変ります。
 そこから語りだされる記憶は、夕日に染まった「真っ赤な世界」です。
 「赤い夕日」に照らし出された金は、自分が父親を殺して奪った食料を吐き出してしまいます。
 こうして考えてみると、「赤い色」というのは金の記憶を象徴する色なのだろうか?という推測が立ち上がってきます。
 金の記憶の中で死にまつわる記憶を彩る「赤い色」、しかしここで不思議な事が一つ、父親を殺した時に流れる血は「赤い」ですが、殺したのが父親としらずに食料をむさぼる金が映り込む水たまりの色は「赤く」ありません。
 上記したように、金が過去を語り始める時に顔が映りこむ紅茶の色は「レモンティー」のはずですが「赤く」なっています。
 このシーンは水溜りに映った太陽から、画面いっぱいに映る夕日と「太陽」というモチーフも重なっていますし。
 時間的な推移を想定せずに、ここでも水溜りが赤くなっていても不思議ではなさそうですが・・・・・・?
 実はこの後の台詞で、男が殺されてからまだそれほど時間が経っていない、という旨の台詞もあるんです。
 しかし、水溜りは赤くなかった。
 それはこの映像が金の主観的な映像だから、という事が出来ると思います。
 金が過去の行いによって罪悪感を感じた部分、それは人を殺した事よりも自分の為に軍を脱走してきた父親を殺して、自分の為の食料を奪ってしまった事、なのでしょう。
 金は母にトウモロコシを差し出しましたが、母はそれを受け取る前に亡くなってしまいました。
 父は食料を金に渡そうとしましたが、奪われて殺されてしまいました。
 金の親子関係は「食べ物」を軸として、相手に思いが届かないという、すれ違いが起きているわけです。
 つまり、金が罪悪感を持っているのは「人を殺した事」ではなく、「父親を殺してしまった事」なので、殺した相手が父親であるのを知らない段階では画面は「赤くならない」のではないでしょうか?
 では、「赤い夕日」これはどういう意味なのでしょう?
 「赤」は金の過去と罪悪感を象徴する色であるとして、「夕日」は何の為に出てくるのか?
 自分は、前回の日記で、「食べ物」を通して、「二人の人生の明暗」が分かれていると書きました。
 明暗が分かれる、では明暗を作り出す元は?と考えると、それは強い光つまり「夕日」が光と影を作り出す元になっているのだと思います。
 では「夕日」は、この作品の中にどんな「光と影を」作っているんでしょうか?
 夕日を背にした幼い日の金は嘔吐します、夕日を背にした金とジョーは影を深めていきます、入射光が射す人物が途中で入れ替わるのも重要そうな気がします。
 と、ここで話は変りますが、このブログで以前書いた記事を思い出すことにしましょう。
 思い出すのは「二十四の瞳」のOPの記事です。
 http://09052563.at.webry.info/200908/article_2.html

 あ、わざわざ読み直さなくってもいいですよ、なんとな〜く思い出してみてください(笑)
 「二十四の瞳」のOPに出てくる夕日には一つの機能があったと思うんです。
 それは真実を明かす光、もしくはスポットライトとしての役割。
 「あしたのジョー2」のこの回における「夕日」にも近い機能があるのではないか?と思います。
 まず、金の犯行を暴き出す光。
 そして、途中で差し込む人物が変る「入射光」、この変化に注目して見ましょう。
 赤い入射光は金の瞳が赤くなる寸前にはジョーに差し込んでいます、しかし金が一通り話をまとめた後、画面いっぱいの夕日を間に挟むと一転して光が差し込むのは金の方になっています。 
 対して、ジョーは赤いパラがかかっているのみ。
 背を向けたジョーには一見、「光」が差し込んでいるように見えます。
 しかし、次のカットではその顔には赤いパラがかかっているだけです、つまりジョーには光が差し込むことは無く、「赤い影」が落ちているだけです。
 そして、立ち上がった金の方向から差し込む光、金がジョーを背にした場面ではジョーを強い光が射していますが、ジョーの顔を見るとその殆どが暗い影に落ちているのが分ります。
 最後には、金が店を去った後のジョーは真っ暗な闇の中にとり残されてしまったようにさえ見えます。
 「赤い色」によって影を深めていくジョー、これはジョーが金の過去に飲まれてしまった、もしくは染まってしまった、という事ではないでしょうか?
 だから、金の過去を象徴する「赤い夕日」は、段々とジョーに近づいていっているのではないでしょうか?
 話は少し変りますが、「暗闇」、そして「食べ物」、これは「あしたのジョー」の名敵役である、「力石徹」を象徴する、要素でもあります。
 力石は階級の違うジョーと戦う為に無理な減量に挑戦し、暗い部屋の中に閉じこもって、減量をするのですが、無理がたたってジョーとの試合で亡くなってしまうキャラクターです。
 そして、この話の最初で話したように(もう忘れちゃいましたよねー、すみません・・・)この話の前にジョーが減量をする話がありまして、ジョーは力石が減量の為に閉じこもっていた部屋に同じように入って減量に耐えていく、という話があるんですが・・・・・・まあ、ここにいたる流れみたいな物は今やっている再放送で確認していただきたい所です。
 分って欲しいのは、力石は、ジョーと「食べ物」を通じたすれ違いによって死んでしまった男である、という事です・・・・・・でも、ちょっとこじつけすぎですかね?
 しかし、ジョーは後の試合中に力石と金を比較した発言していきます、どんな事を言うのかは、実際に今再放送中のアニメで確認してもうう事として。
 話を戻しましょう、この一連のシーンは金が自らの過去を語ることによって、何故ジョーにいらだちを感じているのかを説明するとともに、映像を見ると、その体験を聞いたジョーが自らも過去の暗闇に沈んでいく、その「心の流れ」を演出した物なんじゃないかなあ?と自分は思いました。



 と、話がまとまりかけた所で、皆さん何か忘れていませんか?
 そもそも、この話の始まりに出ていた、ジョーの食べていた「ステーキ」はどうなったんですかね?
 忘れてた・・・・・・・・・・・・いえ、忘れてません。
 「ステーキ」を忘れていたのは、ジョーの方です。
 金が去った後に、ジョーも店を立ち去ろうとするのですが、そこに段平が戻ってきてジョーに聞きます、
 
 段平「ところでどうだい?ゆっくり味わったかい?」
 
 ジョー「ああ、たっぷりとな。ごちそうさん」


 しかし、ジョーが去った後テーブルに置いてあるステーキを見て、段平は言います。

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 段平「何がたっぷりだ。あのやろう、半分も食っちゃいねえや」
 
 そして、店のドアを開いて外に出たジョーはこう呟くんです、

 「いけねえなぁ、どうにも今夜の試合、勝てる気がしねえ・・・」
 
 いつの間にか忘れられ、冷え切った「ステーキ」。
 今まで対戦相手に対して、「勝てない」というような言葉を使ったことの無かったジョーが静かに呟くこの言葉は、かなり意外な台詞です。
 今までも様々に変化してきた「ステーキ」ですが、今は背景描きで処理され、白いタッチが重ねられ、それは「冷えたステーキ」になっています。
 その絵は、まるで今のジョーの心そのものを表しているようではないでしょうか・・・・・・
 「あしたのジョー2」のこの回には「食べ物」というものを通して、様々な物が描かれています。
 そしてそれは、二人の人間の人生を象徴する、共通のモチーフでもあり。
 二人の人間の心そのものでもあり、二人のこれから先を予感させる、物でも有る。
 自分にはそのように見えました。
 人生の中での一瞬とも思える、食卓を挟んだ人間のわずかな対話。それがこれほどまでにドラマチックに見える、このアニメの中にある「演出」という物が自分にはとても面白く思えます。
 この作品の中に出てくる様々な表現、光や影、それに質感それらを使い分ける事で現れてくる、アニメとしての映像の面白さ、アニメの魅力を堪能できる回でした。
 ここに書いたものは、あくまで自分ひとりの受け取り方の話です。
 なので、これから実際にこの回を見てみようと思う人は、どうぞ自分なりにこのアニメを味わって見てください、それは一体どんな味がするのか?
 それは見てのお楽しみです。
 という事で、再放送を一緒に待ちましょうか。



 以上で、『アニメの食べ物の話』ひとまずの終わりです。
 次は『板野サーカスの話』、自分なりに考えた「板野サーカス」について書いていこうと思います、気になる人はお楽しみに!
 


 ところで、これを書いている途中、というか今なんですがtwitterで話題になっていたので、「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」というラジオの「お菓子研究家・福田里香さんに聞く!名作の裏にフード理論あり!!!」というポッドキャストを聞いていたんですが、これが実に面白いです!
 福田里香さんという方が自分の提唱された「FOOD理論」という説に基づいて、「七人の侍」や「水戸黄門」、「天空の城ラピュタ」等の解説をされるのですが、聞ける人は、ぜひ聞いてみてください。
 自分がこの後書くつもりだった「アルプスの少女ハイジ」の感想を書くにあたっても参考になる話でした、それにこの「FOOD理論」を意識してこの回を見てみても非常に面白いとおもいます。


 前編
 http://www.tbsradio.jp/utamaru/2009/11/food.html

 後編
 http://www.tbsradio.jp/utamaru/2009/11/food_1.html#pagetop
 
 

 
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アニメの○○の話、に回目  「アニメの食べ物の話」のつづき

2009/11/17 00:22
 元々、この記事を書こうと思ったのは前の日記にも画像が貼られていた、「涼宮ハルヒの憂鬱」の新作話数を見ていて「制服の描き方が変じゃないか?」という疑問に端を発して、twitterでそれにまつわる発言をしていたんですが、それに関して「出崎統」さんの作品では主に背景で処理されていると言うような事を「小黒祐一郎」さんが雑誌(「アニメージュオリジナル2号)で書かれていたと教えていただいたのがきっかけです。
 アニメージュオリジナルの小黒さんのコラムは1号目の時も「アルプスの少女ハイジ」に題をとって、宮崎駿さんのセル画や背景の描き分けについて書かれていたと思います。
 この記事を読んで興味をもたれた方は小黒さんのコラムを読むと良いかも知れませんね。
 

 とりあえず前の記事はこちらです、間がめちゃくちゃ空いてしまっってすみません・・・・・・・・・・・・
http://09052563.at.webry.info/200905/article_4.html

 それでは、前回の続きでーす。
前は「金竜飛」出る前に終わりましたからね(笑)今回は最後まで行くかな?



 さて、今回のジョーの対戦相手である金さん登場です。
 金は偶然にもジョーが食事をしていたレストランにたちよります、そこで食事をするジョーを見つけると、ひどく意外そうな表情をし、そして静かに笑みを浮かべながら、ジョーに近づいていくのです。

 

 金はジョーのいるテーブルに相席しますが、それを見てもジョーは黙々と食事を続けます。
 そこで静かにジョーに、「ずいぶんとわびしい食事だね?」と金は話しかけてきます。
 無視してジョーは食事を続けるのですが、かまわず一方的に話しかける金
 
 タイトルマッチは12ラウンドの長丁場だ。ずっと飲まず食わずのあげくにそれっぽっちの食事で持ちこたえられるかな?
 まあ、もっとも間違いなく早いラウンドで眠らせて差し上げるつもりだから、その心配は無いにせよだ


 ジョーは挑発的な態度をとる金を無視して、黙々と食事を続けるのですが、そこに和って入るように、ウェイトレスが一杯のレモンティーを持ってきます。

 そして、また語りだす金。

 しかし、試合直前ギリギリまでそのように、哀れなほど飢えきって、やつれはてているようでは、君は噂に聞いたほどハングリーボクサーではないな。
 吹き溜まりのドヤ街に住み、しかも少年院の出身。
 今時の日本には珍しい、ハングリーボクサーと言うのが君のキャッチフレーズらしいが、どうもこれは大きな間違いのようだ。
 本当のハングリーボクサーは、減量などであわてる事は、まず無い。
 こういうと一見逆のようだが、逆もまた真なりでね。


 と、ここまで一気にまくし立てる制するために、口を開くジョー、そして金はそれを制するとまたしゃべりだします、

 わたしはね矢吹くん、その私は飢えた若者でござい、しかも飢えた若者でなければハングリースポーツであるボクシングの栄光はつかめない、といった悲壮感あふれるポーズ、というやつかな。
 それがなんとも鼻持ちなら無いのだよ。

 
 
 ここでようやく「フォークを置いて」、金に何が言いたいのか?っと問いただすジョー。
 
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 私がさっき、このレストランに来て何を注文したと思う?
 そう、そうさ、このレモンティーだけ。
 何故なら、他にもう何も欲しいとは思わないからさ。
 今朝、早くに三枚のビスケットと半熟の卵、それに果物を少し食べた、それっきりだ。
 しかも、私は今のこのレモンティーを飲み干したら、多分、いや確実に明日の朝の三枚のビスケットの食事が出るまで、何も食べないだろう。
 私は、そんな食事を猛長い事続けている、二十年、いやそれ以上前から。
 はっきり言うとね、胃がうけつけないのさ。
 私の胃はおそらく5,6歳の幼児と同じ程度の許容量しか無いだろう。
 
 君は、本物の飢えというものを知っているか。
 本物の地獄と言うものを・・・・・・
 


 
 ここまで一方的に、まくし立て続ける、金。
 迫力のある表情から画面は下にPANして行き、金の顔が「レモンティーの割には色の濃い水面」に映りこんでいます。
 「水」、そして「食べ物」は金の心を映す「鏡」の役割を果たしているのだと思います。 

 
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 金はジョーに自分が子供時代に体験した、戦争の話を語っていきます。
 母は直撃弾を受けて亡くなり、兵隊に出ていた父を食べ物を奪う為に自ら殺してしまったという過去。
 この金の家族とのつながりも、食べ物によって印象深く描写されています。
 母は金が食べかけのとうもろこしを手渡そうとした時に亡くなり。
 父は、家族の為に食料を持って軍を脱走してきた所を、我が子の手にかかって亡くなってしまいます。
 対して、親代わりの段平から特別注文のフルコースを受け取っているジョー、「食べ物」を通して、「二人の人生の明暗」が分かれる所ですね。
 金の過去の描写として印象的なのが、全体的に色調が統一された映像で、前半は「黄色」(血の色のみ赤色)で、そして後半は「赤色」で統一されているのですが、この変化の過程ではとても丁寧に「色の変化」そして「光の変化」の描写が積み重ねられています。
 

 まずこれが回想前半の黄色い画面。

 
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 そしてこれが後半の赤い画面。

 
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 要約しつつ順を追って画像を見て行きましょう。

 
 金の顔のアップ。
 
 
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 紅茶に写りこむ金の顔。
 
 
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 拳を握り締めるジョー(ナイフは持っていない)

 
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 鏡像の金が話し始める。

 
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 金の回想、戦争の映像。

 
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 母に食べかけのトウモロコシを手渡そうとする幼少の金。

 
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 手渡す前に、母は亡くなってしまう。

 
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 死屍累々の中を一人で逃げる金。

 
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 現代の金とジョーの対峙に1カットだけ幼少期の金の映像がインサート(+効果音)、アップになって対峙する金とジョー。

 
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 水溜りにうつぶせになっている人間を見つける金、背嚢にはハエがたかっている(ギャグじゃないです)。

 
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 水溜りに入っていく金。

 
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 背嚢を奪った金を、掴もうとした男は金に殺されてしまう。

 
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 殺した男のそばから離れて、背嚢の食料を食べる金。

 
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 再び現代のジョーと金。

 
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 脱走兵の捜索に来た軍隊、水溜りの男を見つける軍隊、男は脱走兵だった。

 
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 軍隊の男の手が持ち上げた食料の包み紙が、水溜りの男の死骸の顔を覆う。

 
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 死んだ男の名前を叫びながら包み紙を振り、憤る軍人。

 
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 それを聞いた金に起こる異変、汗を噴出し、転げまわりながら嘔吐する。

 
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 嘔吐したものの中に、軍支給の食料が見つかり、リンチを受ける金。

 
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 金が殺した脱走兵は金の父親だった・・・

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 涙を流す金、金を保護する軍人の男、軍人の男が現在の金のトレーナー(というかオーナー?)であった。

 
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 と、この画像についての個人的な、解説をしていきたい所なんですが、なんと!とうとうmixiの日記に続いて、こちらのページの掲載文字数の限界を超えてしまいましたので続きはまた後ほどです!すみません(画像の文字数が多いんです)。
 明日か明後日には更新できると思いますので、少々お待ちくださいませ。
 最後まで中々たどり着かないなあ(苦笑)
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4


身近な作画。

2009/11/16 04:31
 10年前・・・・・・時は西暦20世紀、そして世に言う世紀末。
 水池屋は埼玉県の片隅で、「作画」に飢えた少年でした。
 当時の自分は、欲しい情報を与えてくれるものが、全く無いと思っていました。
 「自分の欲しい情報」とは、アニメの絵コンテが見たい!レイアウトが見たい!原画が見たい!欲を言えばアニメーターのインタビューが読んでみたいなー・・・・・・、とかそんな感じのことだったと思っていただければ良いと思います。
 でも、そんな都合の良いことになるわけがない・・・・・・・・・・・・
 とにかく、十年前の自分は「作画」に飢えていました。
 それから十年後、つまり今の時代ですが↑のような、自分が思い描いていたような事は実は全部かなっちゃっているんですよね。
 21世紀!まさしく現在は光り輝く作画オタクの未来が到来したと言って差し支えないでしょう!
 と、いうと大げさですが、でもよくよく昔と比較して考えてみると、今の時代と言うのは大変「作画」に満ちています。
 宮崎駿の絵コンテは大抵読めます、細田守の絵コンテも大抵読めるでしょう、というか今時ソフトの特典映像に絵コンテがつくなんて当たり前です。
 原画集なんてものがこんなに何冊も出版されるようなものになるとは思いませんでした、まさかエヴァの磯光雄原画が普通に見れる日が来るとは。
 押井守映画のレイアウトが見たい?本を買えば見れますよ。
 OVAがこんなに衰退するのは意外でしたけど、でも変りにアニメの劇場作品がとっても増えましたね。
 ・・・・・・なんとも、ビックリですね。
 10年前の時代から比較して考えてみると、犬が歩けば「作画」に当たるような時代ですよ、ホント。
 うーん、しかしそんな未来に生きている自分ですが、常々思っていることがあります・・・・・・・・・・・・作画の情報が少ない!
 あれ?10年前と比べると随分増えたはずなんですけどね?
 うーん、人間と言うものは強欲なものです、欲望が満たされて満足するって事は無いんですね、むしろ強くなる。
 しかし、そんな時ふと考えてみました、「作画」の情報というのは本当にそんなに少ないのだろうか?
 というのも、最近、アニメ関係の本の出版がとても多いです。
 「アニメスタイル」さんの「アニメ本・聞いた・見た・買った」というコーナーを読んでいていつも思います、アニメの本ってこんなに出てるの?と
 何だかアニメーターさんの画集が毎月出ているし、ついでにいうと声優さんの写真集も毎月でてるような気がします、いや錯覚なんだと思いますけど、なんだか今の時代って凄い量のアニメに関する本が出ていると思うんですよね。
 それで更に考えてみました、じゃあ今まではどうだったんだろうか?
 うーん、自分はどちらかと言うとその手の情報を積極的に探していたタイプの人間になるのでしょうか(そうでもないかなあ)?
 でもまあ、そうだとしましょう、そういう人間が「作画」というものに興味を持ちました、一体どこから情報を探していくのでしょうか?
 コレを読んでいるあなた!そう、あなたです。「コレ」を読んでいると言う時点で多分、その大半の人は「インターネット」を情報源にして知識を蓄えていく事でしょう。
 実際、「コレ」を書いている自分自身も、「インターネット」を始める前と後では情報量が全然違うと思います。
 もう一つはアナログな文字情報「本」です。
 今は↑にも書きましたが作画オタクが欲しがるような「本」というのは溢れていますよね。
 主に、絵コンテ、原画集、レイアウト集の三つだと仮定しますがこのような本は大量にあるわけではないですが、比較的簡単に手にとることができる対象が複数あるものだと思います。
 ほんと、幸せですね。
 うーん、でも他にはどんな本があるんだろう?何かもっと、色々なアニメについて書かれている本って無いものだろうか?
 と常々自分は思っていたのですが、常々思っていただけにちょっと身近な所を調べてみました「図書館」です。
 前にもここで書いたかもしれませんが、「図書館」をあなどってはいけないですね、それぞれの個体差はあれど視聴覚資料のラインナップは所によっては「レンタルビデオ店」では見られないようなものが多く置いてあったりしますからね。
 
 今は便利なもので、大抵の図書館の蔵書をインターネットで検索できるんですよね、という事で地元の県立図書館の蔵書を「アニメーション」で検索してみました結果525件、「アニメ」だけの場合該当数が1000件を超えるほどでした。
 勿論、その中の全てが有益なものではないのだと思いますが、勿論有益なものも多々あるでしょう。
 そうして改めて調べてみると、意外とアニメ関係の本は多かったのだ、と思わされました。
 まず意外な所で「紙芝居」。
 元々、「森やすじ」さんが紙芝居を書いているらしいことは知っていましたが、実際に手にとって見てみると絵は大きいし、本の形に閉じられていない分みやすくっていいですね。
 そして、森さん意外にもアニメーターが「紙芝居」を書いている例は意外と多いようで、「亜細亜堂」だったり、初期東映の「高橋信也」さんと複数の人達が「紙芝居」の絵を描いていることが分りました。
 次に「絵本」。
 これも意外とアニメ関係の人が手がけているものは少なくないようですね。
 「山村浩二」さんはアニメを作りつつ、児童書の挿絵などを書かれていることは知っていましたし、上記の「森やすじ」さんが描かれているものもあります。
 最近だと「橋本晋治」さんが描かれた「絵本」などというものもありますし、ジブリ作品で有名なアニメーターの「二木真希子」さんの描かれた絵本等もありました。
 そして、アニメについて書かれている本、これが結構な量存在します、意外です。
 図書館で検索すると、やっぱりいわゆるアート系アニメーションに関する本が多いのですが、その本の内容というものも、なかなかの多岐にわたっていることがわかりました。
 自分の検索した範囲ではチェコ、ユーロ、中国、ロシアのアニメーションについて書かれた本等がありました(特にチェコは多いですね)。
 コレだけでも、自分が知らなかった「アニメ」について語られている色々な本が出版されていたんだなあと実感できる所なのですが、「アニメについて語っている本」というものの種類も自分が知らなかっただけで実際は豊富だったようです。
 勿論、いずれもその内容が充実しているというものでもないのですが、そういうものも多いかもしれません。
 意外な事に、「制作進行」の手記的な本も世の中にはあったりして、世の中って広いなあ。
 という事で、「アニメに関する話題」というものは能動的に探してみれば意外に多いものだ、という事が自分は分かりました、「作画」について触れられている本も多くはありませんが、それは確かに存在するんです。
 とりあえず、これからも自分の手の届く範囲で色々と調べて、読んでいってみようと思います。
 という事で、自分が読んで面白かったりなんだりした、アニメに関する本の紹介です、相変わらず長い前置きですね!





 「生命を吹き込む魔法」
 
 前にも紹介しましたが、改めて。
 この本は一つの文化が生まれてから、熟すまでの全てが書かれている本です。
 一つの完成したアニメ文化を伝えるのに必要と思われることを、その歴史の証人本人が要約して説明していた本なんです。
 面白いですよ、アニメーションの動きに対する思想をここまで事細かに書いている本って多分他には無いですからね。
 絵を見るだけでも面白いですね、たかーい本なので中々手は出ませんが、自分は図書館で借りて読みました。
 
 以前の感想はこちら↓
 http://09052563.at.webry.info/200902/article_4.html
 

 「アニメーターズ・サバイバルキット」
 
 この本はある意味で「生命を吹き込む魔法」の<副読本>です。
 一つの国の中で生まれて、成熟していった「ディズニー」という名の一つのアニメ文化、そしてそれに憧れた、また別の国の一人の中年のアニメーター、そのアニメーターがいかにして海の向こうの「生命を吹きこむ魔法」を分析して行ったか?
 という内容の本です。
 「生命を吹き込む魔法」が技術よりも思想的な部分を重要な所に置いているのに対して、この本は今、アニメーターに必要と思われる「技術」を分析的に解説している本です。
 だから、「サバイバルキット」なんです。
 つまりアニメーターとして生きる為に必要な道具が詰まっている本という趣旨なんです。
 特に「歩き」「走り」についての記述が多く、その説明が大半を占めています、改めて凄い本ですね。
 この人の行動力は凄まじく、自分は「世界最高の作画オタク(誉め言葉)」と言って差し支えないと思っています。
 独学でアニメをーション技術を勉強し、独立して成功を収めた人間が、中年になってから海の向こうに渡って一から勉強しなおすなんてそんな話聞いたことがありませんね、その前から優れたアニメーターを仕事のパトーナー+講師として自分で雇ったりなんてしたりしていたそうですが。
 この本も高いのでまず図書館等で探してみる事をオススメします。
 それでも置いてなかった場合は「ロジャー・ラビット」を見て、そのアニメを作った人のことが気になるようなら手にとって見れば良いと思います。
 「ロジャー・ラビット」はこの本の「福読書」です、本自体に興味の無い人も、一度は見てみると良いと思います、面白い映画ですよ(アニメ技術が)。
 

 「アニメーションの基礎知識大百科」

 最近出た本ですが、この本を読めば日本のアニメーション用語の基礎知識は備わると思います!・・・・・・そのまんまですね?
 でも、本当にそういう本なんですよ。
 ちょくちょく役に立たない遊びのような単語(「英雄の復活」とか)や主観的なコラム等もはさまっているのですが、それはそれで読み物としては面白いです。
 この本の面白いところは、日本のアニメの中で培われてきた独特な「言葉遊び」的な部分についてちゃんと言及している所で、読んでみればわかるのですが日本アニメの技術用語は実用性や分りやすさよりも語感にシャレを効かせている物がかなり多いんです。
 それから和製英語の解釈についても一定の価値基準の元で「大塚康生」さんの解説も入っており、分りやすいです。
 ただ、元々ディズニーのアニメ用語もシャレを効かせたものや、用途が重複している所があるようなので(「オーバーラッピングアクション(はこの本には出てきません)」と「フォロースルー」とか)、これを参考に海外のアニメ用語を使用するよりは普通に日本語を使った方が良さそうですね。
 それからアニメーターに必要な最低限の技術を補足しているような部分があって、レイアウトやパースについての言及が多かった印象があります(特にパースのとり方に関しては具体的な実例で紹介されています)、たまたま一緒に「西澤晋」さん著作の「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」を読んだのですが、どちらもサンライズ周辺で活躍されているアニメーターさんなのでその価値観には共通した物を感じました。
 

 「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」

 アニメーター・アニメ演出家・アニメ監督の「西澤晋」さんが独特の発想でアニメーターに必要なデッサン力、画面構成力等について詳細な実例とともに解説されている本です。
 デッサンの部分に関しては、基本は「アンドリュー・ルーミス」さんの本に+@して、骨格や筋肉が人体を動かすのにどのような働きをしているか?が解説されています。
 とは言っても自分は未だに「アンドリュー・ルーミス」さんの本を読んだ事はないのですが・・・・・・
 ルーミスさんの本は知り合いもすすめていたし、海外のアニメーターの人のHPでも紹介されている所を最近見つけたし、国内でも有名なアニメーターの方が今でも机の片隅に置いて参考にしているという話も何回か(何回というか、2回ですね)聞いたことがあるし、色々評判が良いので、その内読んでみようと思います。
 「独自の発想で」と書きましたが、特に動きの工程をエンジンの動きに例えて話して居る所などはユニークで面白いです、そして分りやすいです。
 そして、この本の主眼は「画面構成力」についての部分で、西沢さんは「映画的な場面を再現する場合、「望遠レンズ」で撮影されている事を想定して描写するのが好ましい」という事を事細かな事例とともに解説されております。
 これは、西澤さんが現場で体験した事を基に書かれているんでしょうね、実例も実際に実写ならず、アニメでも日常的に必要とされるようなものが多かったと思います。
 神村幸子さんが「アニメーションの基礎知識大百科」で透視図法を教えるのは簡単だけどレイアウトは難しいと言っていたんですが、この本のレイアウトに関しての解説は参考になりそうですね。
 そういえば読んでいてなんとなく、西澤さんの理想とするレイアウトは「安彦良和」さんの描く物のような気がしました(あくまで勝手な印象です)、「機動戦士ガンダム」のアバンタイトルや1話を見ると、印象的に見せたいものはデッカク見せていたりしますしね、それから「GAZO」(第一号)という雑誌で「氷川竜介」さんの書いていたガンダムにおける安彦レイアウトの解説を連想しました。
 ↓の画像はその記事の一部で、TV版と劇場版のレイアウトの違いを比較したものです、西澤さんの本の良い例悪い例の比較を見ていて、何となくこの画像を思い出しました。

 
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 「宮崎駿さんの絵コンテ」

 宮崎駿さんの書いた絵コンテは、今日本で一番手に取りやすい絵コンテです。
 多分、日本で一番読まれているアニメの絵コンテが宮崎さんのコンテなんじゃないでしょうか?
 自分がはじめて見た絵コンテも宮崎さんの描いた「未来少年コナン」の絵コンテ(昔のアニメージュの付録で友達に見せてもらいました。また読みたいなあ)でした。
 それから基本的な撮影用語を覚えたのも「風の谷のナウシカ」(文庫版)の巻末のオマケで覚えました。
 特に「もののけ姫」までのアナログ制作の時代の絵コンテがオススメです、撮影技法などの指定が細かく書いてあって面白いんです。
 

 「海がきこえる」絵コンテ
 
 「望月智充」さんのコンテを元にした「近藤勝也」さんによる<絵コンテ形式によるレイアウト>が掲載されており、かなり見ごたえがあります。
 <絵コンテ形式によるレイアウト>とは、絵コンテ用紙にレイアウトと、ラフ原画的な動作を説明した絵が描いてあるもので、レイアウトとしても書きこんでありますし、動作の指示も細かい仕種まで丁寧に描いてあります。
 また、絵コンテをレイアウトにしたものを大量に見られる、という点でも非常に興味深い本になっています。
 

 「Methods―押井守「パトレイバー2」演出ノート」
 
 「押井守」さんが自らの監督作である、「機動警察パトレイバー 2 the Movie」のレイアウトを図版とともに、1カッと1カット解説してくれている本です。
 このブログを読んでくれているような人はまず間違いなくパト2を見ていると思いますが未見の方は是非見てください、オススメです。
 同じく、押井さんの監督作品である「イノセンス」のレイアウトを解説している「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート」という本も出ています、良い本ですが、自分は未だに買っていません、他意はありません。
 絶版の本ですが、自分は「復刊ドットコム」さんで買いました、因みに初めて見たのは都内の図書館です。
 しょっちゅう、上記のサイトで復刊しているので買いたい人は今のうちに投票しておいた方が良いと思います。
 因みに、この本の編集に関わっていた「野崎透」さん・「久保美鈴」さんが編集しているムック本はとても良い本なのでついでにオススメしておきます。
 「THE MEMORY OF MEMORIES」というオムニバス映画「MEMORIES」のムック本(「大砲の街」の絵コンテが全部見れたり、今敏さんの設定が見れたりお得な本です)と「THE ANALISIS OF攻殻機動隊」(かなり大量のレイアウトが掲載されています)という映画「攻殻機動隊」のムック本です(amazonで2冊まとめて1000円もしないみたいですね)。
 因みに、この野崎さんは後にアニメ制作の分野に入り、設定関係や脚本などで今も活躍されています。
 

 「スタジオジブリ・レイアウト展 図録」

 「スタジオジブリ・レイアウト展」の図録です、以前にも紹介しました。
 スタジオジブリのレイアウトがたくさん見れます、ジブリは絵コンテも見れるし、レイアウトも見れるし素晴らしいですね!この調子で原画集も出してください!
 「セブンアンドワイ」で今でも買えるようです。


 「「ホルス」の映像表現」

 「高畑勲」さんが「太陽の王子ホルス」を題にとって、演出意図などをこと細かく説明してくれている本です。
 文庫本で読みやすい量ですし、比較的手に入りやすいと思います。
 下記の「作画汗まみれ 増補改訂版」巻末の高畑さんが書いた文章とあわせて読むと面白いと思います。


 「作画汗まみれ 増補改訂版」

 アニメーター「大塚康生」さんの半生記でもあり、日本アニメ創世記を記した本でもあり、一人のアニメーターが絵を、動きを、どうすれば巧くなるか考え、どう実行したか、どう努力してきたか?を書いた本でもあります。
 技法書ではありませんが、個人的には「アニメーターズ・サバイバルキット」に近い精神性を感じます。
 大塚さん自身の文章は勿論、巻末の「高畑勲」さんによるディズニーと日本のアニメの比較による、日本アニメーションの分析がかなり興味深く、個人的にはこういうブログを読んでくれている方には一度は読んで欲しい内容です。 


 「アニメーション制作技法―「4701白鯨」を創る」

 以前にも紹介したかと思いますが、改めて。
 アニメ監督の「出崎統」さんとアニメーターの「杉野昭夫」さんが「白鯨4701」パイロットフィルムの制作を通じて、アニメの制作手法を解説する、という本なのですが・・・・・・この本、熱いです。
 出崎統さんが、作品の印象そのものの熱い文章を説明として書いており、文章からまごうことなき出崎節が滲み出ています。
 解説、というよりはその作業に書ける自分の「思い」みたいなものが書かれている本ですね、また杉野さんが自作の絵のにちょっとしたコメントを寄せておられるのですが、これがまた「いかにも」な事を言っておられて、カッコイイです。
 絶版ですが、自分は図書館で借りて読みました。

 
 「これが「演出」なのだっ 天才アニメ監督のノウハウ」

 アニメ監督の「大地丙太郎」さんが書いた、「演出」に関する本です。
 この本を読んで自分がわかった事が一つ、この人、話が巧いです。
 この人なんていったら失礼ですが、スルスル読めて、内容も面白かったです。
 大地さんによるとこの本は、すでに現場に携わっている「新人向け」に書いてある本だそうですが、自分が読んでもとても興味深い内容の本でした。
 基本的にはアニメの製作工程順に大地さんの体験的な事などを挟みつつ、その歳の大地さんの演出的な立ち位置が書いてあり、更にどう感性を磨くか?という内容から、大地さん自身が今までどう磨いてきたか?どんなものにどのような影響を受けてきたか?そして、見ている人を楽しませる為に演出は何をすれば良いのか?といったような事が書かれています。
 一番言及が多いのが「絵コンテ」の描き方であるという珍しい本でもあります。
 今回はこの本を紹介しようとして書いた文章です、非常にオススメです。
 

 「月岡先生の楽しいアニメ教室」1〜6巻

 児童向けの大判書なのですが、中々面白い本です。
 というのも本自体は薄い(各巻30ページ前後)のですが、1巻から6巻にかけてフォローされている方向性は結構広くって、多少児童向けの内容からそれる部分も無くは無いのですが・・・・・・それはそれで面白いアプローチの本だと思います。
 このシリーズが特に面白いと思う点は「アニメーター」を職業として扱っている点で、この場合はCMアニメーター(月岡さん自身の個人作家的な活動と捉えても良いですかね?個人アニメ作家の方達はCMを作っている方が少なくないですよね)なのですが、このシリーズが各巻どう振り分けられているかというと、

 1巻「アニメで遊ぼう」
 2巻「原画はこうして描こう」
 3巻「人の動きを観察しよう」
 4巻「イヌやネコにおしえてもらおう」
 5巻「パソコンで発表しよう」
 6巻「CMアニメはこうして作る」

 というような感じで・・・・・・中々興味をそそるタイトルじゃないでしょうか?
 技法書としては「アニメーションの本 動く絵を描く基礎知識と作画の実際」と「アニメーターズ・サバイバルキット」を要約して分りやすくしたような感じですね。
 特に3巻・4巻は面白い内容で3巻は「ジェスチャー」の重要性や「パースの付いた歩き」の描き方の解説があったり、4巻では様々な生き物別の動きに+αでエフェクトの基本的な描き方、様々な「なびき」の描き方が解説されていて面白いです。
 ついでといっては何ですが月岡さんがこの本の中で紹介している本も紹介しておきます。
 
 「マンウォッチング」というタイトルの本です、自分も近いうちに読んでみようと思っています。
 すいません、リンクがちゃんと出来ていなかったようです、貼りなおし、ぺたり。
 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%80%94%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%80%95-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%87%E3%82%BA%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%B9/dp/4094081496  

 この本の特設サイト↓
 http://www.kaiseisha.co.jp/animation/


 「コマ撮りアニメーションの秘密」

 歴代のアカデミー賞を受賞したアニメ作家へのインタビュー集です。
 世界中のアニメ作家に取材をしたなかなかの労作な本ですね。
 この本の面白い所は各作家の人たちの制作予算や、制作環境について細かく言及されている所で、その環境は様々です国立映画庁で潤沢な資金で作られているものもあれば、大学の自主制作の一環で作られているもの、人によってはスポンサーをどう獲得したか?など具体的な製作環境についても触れられています。
 様々な手法で作られた作品群の技法や音響に関して等も言及されている事が多く、中々興味深い本です。
 

 「小さなピスケのはじめてのたび」
 「小さなピスケのはじめてのともだち」


 スタジオジブリの作品で活躍されているアニメーターの「二木真希子」さんの描かれた絵本です、アニメーターさんの描く絵・イラストに興味のある人にオススメです。
 大型版形の本なので大きな絵で二木さんの絵を堪能できます、二木さんは「世界の真ん中の木」という絵物語も出版されていますが、個人的には版形の大きい、こちらがオススメです。
 アニメーター絵やイラストといってもアニメ的な絵柄意外の物を見る機会は中々無いと思うので選んでみました。
 自分は図書館で借りて読みました・・・・・・・・・いや、文章は読んでないな?絵を見ただけだったっけ?いかんですね・・・・・・


 「原画集」

 主にガイナックスさんから出版されています、好きな作品のものを選んでください。
 一部入手が難しい物もあるようですが。
 ガイナックスさん以外から出版されている「原画集」では、「電脳コイル原画集」がオススメです、これも以前に紹介しましたね。
 
 
 と、以前にも紹介した本もあわせて、最近読んだ本を中心に色々と紹介してみました、どうぞ興味を持った物から選んで読んでみてください。
 そして、ここまで書いたところで自分なりの結論を一つ、「アニメ」を「作画」をどうやって一番身近にするか・・・・・・単純です、アニメを見れば良いと思います!
 うーん・・・・・・単純すぎますね・・・・・・でも、やっぱりそれが一番なんじゃないでしょうか?
 


 ところで、「アニメーション教科書」という本が出版されているみたいなんですが(「アニメの教科書」とは別物です) 読んだ事のある人が居りましたら、感想など教えていただけるとありがたいです。
 作画技法に関した内容ではなく、「演技」について書かれている本だという事です。


「アニメーション教科書」
http://qurl.com/9c6ym
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山田勝哉さんのお仕事リスト。

2009/10/22 19:22
 山田勝哉さんの仕事リストを作成、ここ数年見ていないのは、劇場作品に参加しているのかな?

「あずき ちゃん」
原画#81#90#94#106

「MASTERキートン」
原画#21#22#25#27#30#32#35#38

「劇場版 カードキャプターさくら」
原画

「十兵衛ちゃん ーラブリー眼帯の秘密」
原画#12

「Petshop of Horrors」
原画#1#2#4

「Bビーダマン 爆外伝」
原画#1#6

「VAMPIRE HUNTER D」
作画監督補佐

「カードキャプターさくら 封印されたカード」
原画

「メトロポリス」
原画

「炎の蜃気楼 みなぎわの反逆者」
原画#3

「SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK」
メカニックデザイン・美術設定デザイン 
作画監督#7#9#13 
原画#1#2#3#4

「48×61」
作画・設定デザイン

「トップをねらえ2!」
原画#2#3

「ハウルの動く城」
原画

「劇場版 NARUTO 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!」
原画

「Paradise Kiss」
作画監督#5#6#11

「Gungrave」
原画#14

「GUNSLINGER GIRL」
原画#5

「妄想代理人」
原画#10#13

「BLACK CAT」
OP1原画

「天元突破グレンラガン」
原画#1#12#24#27

「LASTORDER FINAL FANTASY VIII」
作画監督
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もう夏じゃないけど、「サマーウォーズ」。

2009/09/26 06:49
 もう夏も終わって秋になるわけですが、公開日に兄・弟と連れ立って、見に行ってきました、「サマー・ウォーズ」。
 という事で「サマーウォーズ」の話で、残暑お見舞いです。




 感想は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あえて言おう、普通に面白かったと!
 映画全体を通しての第一印象は「ダイジェスト細田守」かなあ、あとは「障害物リレー」とか。
 本当に「劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」なんだなあ、とは思ったんですけど、そこよりも「少女革命ウテナ」から「時をかける少女」までの細田作品の色んなイメージがちりばめられているように自分には感じられて、そちらの方が個人的には気になりました。
 作品としては、見ている途中は娯楽大作にしか見えないんだけど、見終わった後には何だか、私小説的な余韻を感じました。 
 この映画って、「細田守」を知らない人が見たのと、「細田守」という作家を意識した上で見たのとでは全然違う作品に見えて来そうだと思うんですけど、十代の頃からどっぷら「細田守」に浸っている自分には、客観的な感想はわいてこないかなあ。
 しかし、「サマーウォーズ」を見て、「細田守」さんのアニメの面白さを知った人たちは、これから遡って色んな作品に散りばめられている「サマーウォーズ」のかけらを拾っていけるんですね、羨ましいなあ。
 細田さんの作品をいままで見たことの無かった、新しい人たちにとっては入り口だけど、今まで見知っている人たちにとっては出口みたいな作品ですね。
 そういう意味では、「サマーウォーズ」は細田守ファンにとってのターニングポイントになる作品のような気がしますね。
 



 作画のほうは「青山浩行」さんの良さが十二分に行き来届いていて素晴らしい感じでした。
 後はやっぱり「電脳コイル」っていうのは大きな作品だったなあと実感したり、最近特に大きく感じる所ですねこれに関しては。
 ちょっと昔のアニメを見て、もう古くなってるんだなあ、なんて思ってしまうのは、この作品が理由なんじゃないかなあと思うところが強くあったりして、罪な作品ですねえ・・・・・・
 「サマーウォーズ」の作画の全体的な印象自体は具体的に言うと、動いている事が気にならない位、良く動いていたと思います。
 それから、「サマーウォーズ」見た後に青山さんの未見の仕事をチェックしていたんですけど、見逃していた良い仕事がまだまだ多いですねえ、「MONSTER」の原画とか凄かったです。
 あくまで個人的な予想なんですけれど、44話と最終回でサッカー、(最終回はリフティングのシーンの原画を描かれているんじゃないかなあと思うんですよね、これが凄く巧いんですよ!
 
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 百聞は一見にしかず!と思うので「時をかける少女」や「サマーウォーズ」を見て青山さんのファンになったなんていう方には青山さんの作監の回も含めて是非とも見てもらいたいですね、勿論それ以外の未見の方にも。
 まあ、とりあえず自分のブログを読んでくれていただいているような方達には、是非とも見ておいて欲しい仕事の一つだと思います。
 作監回のほうにはこの時すでに「久保田誓」さんや「秦綾子」さんとかがいたりして、後の「時をかける少女」のスタッフの方向性がこの段階で少なからずあるんだなあと思ったりしますね(と言っても青山さんはそれまでもガイナ作品によく参加されていたような気がしますけど)。
 色々見ていく内にちょっとずつ青山さんのクセみたいな物も見えてきた気がします。
 青山さんは冒頭の夏樹を描いているようだけど、どれくらい描いているのかなあ。 自転車のカットは青山さんの原画だと思っているんですけど、ケンジ君とサクマ君がダチョウ倶楽部のネタみたいなノリで交互に立ち上がって挙手している所も含めて全部そうなのかな?とりあえず自分には夏樹単体のカットは青山さんの仕事に見えました。
 あと印象に残った物でいえば、やっぱり「濱田高行」さんが描かれたという一族全員集合の食事シーンがスゴイの一言ですね。
 こういうのってどこかしら手を抜いている部分があると一気に破綻する類の動きだと想像するんですけど、例えばどこか一部分止まっていたりとか、不自然にリピートを繰り返していたりとかしていると、それが悪い意味で気になっちゃうと思うんですよね。
 最初の一家勢揃い食事シーンなんかだと、台詞のない登場人物でも、何をしているのかな?と見ていて気になる位に全部の登場人物がちゃんと動いてました、圧巻です。
 こういうのをサラリと見せられちゃうと、それだけで登場人物達の存在感を自然に生きているように感じられる気がしますね。
 日常的なシーンで他に良いなあと思ったところは、ケンジと夏樹がおばあちゃんに挨拶に行く最初の所。
 ここは目の芝居が細かくって、映画館で観ないと分りにくいかもしれませんが、瞳のハイライトがチラチラ動いている時と、動いていない時があって、その使い分けを見ていると、手法としては古典的なものですけど、登場人物の台詞の意味合いが良くわかってくるような気がします。
 作画でというよりは演出で、細かく指定しているんじゃないかと思うんですけど、個人的に「時をかける少女」の絵コンテを見て一番気になったのが、何処で目が見えていて、何処で目が隠れているのかをかなり細かく指示していた事で、前々から目を故意的に見せていないカットが多いなあとは思っていたんですが、それ以来細田さんの作品を見るときはそこら辺を意識してみています。
 ヤンキーっぽい警官のお兄ちゃんが、夏樹が結婚相手を連れてきたのを知って廊下で慌てている所なんかは青山さんっぽい色が強い感じがしました。
 後はケンジ君がヤンキー兄ちゃん逮捕されたのを追いかけていく夏樹とか、特に夏樹の走りはそれっぽいような気がするんですけど、んー「秦綾子」さんもこういう動きを描かれるような気がします。
 それから色々見ていて、青山さんは走りとか、走っていて止まる時に特徴があるなあと言う気がしていまして、必ず一工夫あって、昔は「滑る」芝居を入れる事が多かったようなんですけど、これは「うつのみや理」さんの影響なのかなあ。
 今は滑らせる走りはあまり描かれないみたいですけど「スカイクロラ」では引きの画面で女の子が犬と追いかけっこしている所でちょっとだけ描いたりしていますね。

 
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 OPのキングカズマの映像とOZの世界でリスケンジがボコボコにされる辺りは「西田達三」さんだそうで、そうでとはいっても一見して分るくらいにあいかわらず個性的な方ですが、OZ世界の描写は映画を見る前に自分が予想していたよりもはるかに地に足の付いた世界観だったので、格闘シーンも仮想空間のデジタル映像なのに、身体感覚の延長線のように感じられる映像になっていたと思います。
 勿論、仮想空間ならではの映像も色々とあったんですけど、どちらの方が印象に残ったかと言えば、鼻血やら何汁やら噴出しながらボコボコにされるマスコットという絵面の方が印象に残りましたねえ。
 「ぼくらのウォーゲーム」の時は、電脳空間に身体感覚ってあまり感じませんでしたけど、「サマーウォーズ」でこれでもか!っと現実の肉体を連想させられるシーンが出てきますね。
 勿論、仮想電脳空間らしい描写もあってキングカズマが両側からビルに潰されるシーンのビルの壊れ方を見ると、ビルの「中身」っていう物が無くって、ラッピング的なテクスチャーが崩れていっていくーとか、なるほどなーなんて思いながら見ていました。
 ちょっとだけ、中身が無い割りに煙がずいぶん多いんだなあとも思いましたが。
 この映画の中に出てくる「OZ」という名の仮想空間の描写で一番感心した所って、映画の導入部でケンジとサクマがOZ世界内のアバター同士で無駄話をしている所でした。
 このシーンを普通に流して見ている段階で、もうこの世界観を違和感無く享受している事になるシーンのような気がしますね。
 デジタル世界のはずで、凄く主観的な描写のはずなのに、スッキリと見れてしまう。
 この作品の設定や世界観をこの段階で刷り込まされてしまっているなあ、何て見ながら思いました。
 「サマーウォーズ」のOPの映像は、OPが終わるまで疑問を持たないで見れれば、映画自体を最後まですんなり見れそうな気がするんですよね、この段階で説明って殆ど終わっているし。
 それは映像的なテンポの良さもあると思うんですけれど、細田さんの動きを見せるセンスがやっぱり良いなあと思いました。
 ラブマシーンがOZ世界を混乱させていく様子でも、グラフィック化された情報で、紐のような物を引っ張って千切っちゃったり、おはじきのように弾いたり、パズルのように組み替えたり次第にラブマシーンの姿も見えなくなって、どんどん混乱していっているのだろうな、という絵面だけが続いていっても、スッキリ見れると言うのは不思議だなあと思うんですけど、そういう混乱を呼ぶ「状態」というものを言葉で説明しないで、手の届くレベルでの感覚の物に置き換えて見せているのが巧いですよねえ。
 映像のチョイスに「遊び」の要素を感じるのはラブマシーンが遊んでいる感覚だからなのかなー。
 そういう意味では、キングカズマとラブマシーンの格闘シーンって上にも書きましたが内容的にも、絵面的にも非常に地に足の付いた映像だなあ、何て思って結構自分の中では意外に感じていたんですが。
 「ぼくらのウォーゲーム」では基本的に光線での遠距離攻撃とか高速で刺し違えるような戦闘がメインだったからというのもあるのかなあ、その後のOZ世界内での追いかけっこがあるからかもしれないし、もしかしたら現実での陣内家の人々がどんなにいさかいを起こしても流血沙汰にまでは至らない事への裏返しにもとれたかもしれません。
 現実ではそうでもない事でも、インターネットの世界では過剰になる、という事はよくある事のように思えます。
 それで、肝心のアクションシーンの描写自体なんですが、最初のリスケンジと偽ケンジアバターの戦闘は色々と汁やら煙やら出て凄いなあーと思いました。
 アニメでここまで汁が出るのは久々に見た気がしますね、鼻血って言うのもギャグ意外で見たのは久々な気がしたんですけど、何かありましたっけ?
 その後のキングカズマとラブマシーンとの再戦一騎打ちは「向田隆」さんですかね。
 個人的な印象としては、「カウボーイ・ビバップ」の頃の特に劇場版のときの、「中村豊」さんの仕事に近い物を感じる、ポージングや動きでした。
 そういう感覚を得るのは、参考にしているものが近いからなのかなあ、インタビューなどで「西田達三」さんがブルース・リーの映画や「マッハ!!!!!」等を参考にしたと言っていたけど。
 向田さん自身に意識している部分があるのかどうかは分らないですね。
 ただ向田さんってアニメっぽさと身体的な実感のバランスっていうのが面白いアニメーターさんだなあと思っていて、中村さんにもそういう部分を感じるのでそのバランスみたいなものが似てるんじゃないかなあ。
 でも、向田さんの描く動きを見ていても、あまり「痛そう」だなあとは思わないんですよね、中村さんの描く動きを見ていると殴った方も殴られた方も痛そうな、そんな感覚を受けるんですけど、向田さんの描いた「RD潜脳調査室」・「サマーウォーズ」と両方思い返してみても、どこまでもスタンスがしっかりしているプロっぽい動きだなあ何て思ったりするんですが、その点で意外と中村さんは足元の動きなんかで飛ばした動きを描いたりしますよね、特にビバップの頃は。
 その後のキングカズマとラブマシーンが追いかけっこしている所が「牧原亮太郎」さん?
 CGの電脳世界を縦横無尽に追いかけっこするシーンですけど、どうやって描いていったのかなあ。
 見ていて、「カイバ」1話の追いかけっこを思い出しました。
 この辺り個人的には電脳世界の描写で「ぼくらのウォーゲーム」と比べて、一番変化を感じたあたりでした。
 「ぼくらのウォーゲーム」の時って、サイトからサイトへと移動する時の回線を移動している時の描写が斬新で、その後色んな所で真似されていましたが、その描写自体バッサリ切り取られて、OZの空間には境目がないんだなあというのが一番の変化だなあと感じた所でした。
 それというのも、細田さんの作品って、決着の場に主人公が足を踏み入れていくシーンと言うのが「ぼくらのウォーゲーム」、「劇場版ワンピースオマツリ男爵と秘密の島」、「時をかける少女」と印象的だなあと思っていたので、そういうシーンが今までとは違って、境目なく描かれているように見えて、自分の中では意外に感じました。
 それに「ぼくらのウォーゲーム」で太一がモニターの中に入り込んでいってしまうという描写がありますけど、そういう境界線を破っていくと言う感覚が上記の作品にはあったような気がするんですけど、上記したようにこの作品だと最初から電脳世界のアバターと現実の人間が完全に同一化して見えてるんですよね。
 一応、OZ世界の混乱が原因での家族の分断っていう描写はあるんですけど、
 でもこの作品の中でも、移動と言うのが重要なんだなあとは思っていて、登場人物によって、廊下の通り方が違うんですよね。
 多分同じ廊下でも、その家の立場によって、アングルを変えて見せるようになっているんじゃないかなあ。
 同じ廊下でも(ケンジが栄を見つけたり、カズマを見つけたりする廊下とか)夏樹等は正面真ん中から見せる事が多くって、ケンジ等は同じ廊下でも端っこから見せる事が多かった気がします。
 家自体の見せ方も、家族全員揃っている時は、仕切りがなくって家の中全体を見渡せるような感じになっているなあというのと、家族全員勢揃いの会食をしているシーンとか縁側の下の部分まで見せて、ちょっと舞台っぽいというかドリフターズの「8時だョ!全員集合」みたいな絵面に見えるなあなんて思って見ていました。
 これが舞台だとすると、縁側から片足放り出してる侘介は「家族」っていう檜舞台に上がりきれてない人間って事になるのかなあ。
 ただ、家全体が見渡せる構図って、おばあちゃんが生きている間だけで、その後っていうのは、家中に仕切りがある状態になっていました、そう考えるとラブマシーンが「鍵」を持っているって言うのは印象的なモチーフですよね。
 おばあちゃんの遺体を早朝、皆で囲んでいる所・・・・・・ここは「福田道生」さんかなあ。
 おばあちゃんのアオリの顔のアタリのとり方が「劇場版ワンピース オマツリ男爵と秘密の島」の時の福田さんの描き方によく似ているような気がします、唇から鼻にかけての描き方とか。
 この後の、家族全員のシルエットを横にカメラ移動していってみせるシーン、これまで家族全員が揃っている時と上手下手の位置が逆になってるのも印象的ですね、何となく顔を背けているようなイメージ、それから印象的な青い空に白い雲。
 「サマーウォーズ」では背景の雲がちょっとずつ変形してましたね、多分「スカイクロラ」でも使われていた技法だとおもうので、一枚描いた背景を変形させているのかなあ。
 細田さんの作品は劇場作品だと昔から影なしで撮影効果に頼らない画面作りのような印象が強いですけど、ちょっとしたフォーカスの入れ方とか、こうした背景処理の仕方とかTDですけどどれみやナージャの演出回でも光やガラスの処理でも色々と効果を使ってましたけど、技術の進歩っていうのが確実に画面に変化を与えていますねえ。
 その後の夏樹がケンジに子指を握ってもらって泣くシーン。
 思わず「時をかける少女」のヒロイン真琴の屋上での泣き顔を思い出す大粒涙なシーンですけど、ここで小指を握らせているのって何となく結婚というイメージが見ていて湧いてくる所でしたねえ、その後の夏樹がおばあちゃんの遺言を見つけた時のイメージシーンで侘介をおばあちゃんが引き取った時にも小指を握ってるんですけど、そういうのを見ると、家族として認める証だとか、夏樹って将来あのあばあちゃんみたいになるんじゃないかなあ、なんて想像が個人的に頭をもたげてくるようなシーンでした。
 ちょっと戻って、侘介が家族とケンカするシーン、ここは「伊東伸高」さんでしょうか。
 この映画の絵柄の中では特殊な線の感じで、シワが特徴的に描かれていたので、特徴的に見えました。
 動き的にも、侘介がちゃぶ台(じゃない?)に倒れこんでいる所のみっともない感じとか、おばあちゃんが槍を構える所のきびきびとした動きとか、良いなあ何て思いながら見てました。
 そういえばここで侘介が長刀の刃の部分を思いっきり握ってるのに、血が出ないっていう描写がありましたけど。
 これは、おばあちゃんが老いている事を侘介が実感して、自分のやってきた事が遅すぎたんだと実感するシーンなのかなあと自分は受け取りました。
 後、おばあちゃんの衰えって言うのに気づいているのは半分他人で、家の敷居を内に半分またいでいるケンジと、外に半分またいでいる侘介だけって事なんじゃないかなあと思いました。
 だから映画の中盤と後半でケンジがもうしわけなさそうに帰ってきたのと、侘介が帰ってきてから、影が薄くなる(薄くなっているように自分には見える)のが印象として近い事のように自分には見えるんですよねえ。
 「へえ、あんた帰ってきたんだ・・・・・・何で?」という感じで、あれだけ大人数の家族なのに、何故か帰ってきた時だけは大して触れられてないって言う・・・・・・何だか、冷たいよなあ(笑)
 男衆がおばあちゃんの弔い合戦に向けて、自分達のツテを使って機材をどんどん集めていく一連のシーン。
 船を運んできて、池に放り込む所は「舘直樹」さんかな?
 先日、NHKで放送していた「トップランナー」でちょっと流れていた映像を見ていたらそう思いました。
 スーパーコンピューターが熱暴走したせいで、閉じ込めたラブマシーンが巨大化して出てくるのに、向かっていくキングカズマ、ここはカズマさんにこのブログでいただいた情報によると「阿蒜晃士」さんの担当のようです。
 ここって、細田さんの作品にはよく登場する「百万本の剣」的なシチュエーションのシーンですよね。
 阿蒜さんって同じくカズマさんに教えていただいた情報によると、「少女革命ウテナ」でも「百万本の剣」のクライマックスを担当された方なのだそうです(http://09052563.at.webry.info/200901/article_5.html)。
 自分はそれを事前に意識して見に行ったのですが、そのせいなのか、上にも書きましたが「サマー・ウォーズ」という作品は「少女革命ウテナ」から「時をかける少女」までの細田作品の色んなイメージがちりばめられているように見えました。
 そこをあえて「再現」をしているのが、この作品なのかなあ何て思いました。
 そういう部分も自分がこの作品のことを「ダイジェスト細田守」だとか「私小説的」だと感じた理由の一つかもしれません。
 後々出てきた「ぼくらのウォーゲーム」そっくりの世界中の人たちの点描、これも「山下高明」さんの仕事ように自分には見えたんですけど、実際はどうだったのかなあ。
 ここから、呆然とする男衆、いまいち現実感を感じてない女衆という描写がありましたけど、ここも「ぼくらのウォーゲーム」とは大きく違う所ですね。
 ウォーゲームって大人たちの知らぬ存ぜぬ所で世界を救っているという話で、子供達がいる部屋には大人が最後まで踏み入ってこないですけど、この映画だと最終的には全員一致団結して戦うじゃないですか。
 「ぼくらのウォーゲーム」でも一見世界中の子供達の願いが集まって、「奇跡」が起きる・・・・・・ようにみえるけど、あれって実際は世界中から来た迷惑メールをお前のせいだー!って言って送り返しているんですよね。
 実際に起きている奇跡っていうのは、選ばれた特別な人間である太一とヤマトが世界の境界線を越えて行くという事なんじゃないかな。
 頑張れ!っていう願いを込めてメールを送っても実際にはそんなに大量に来ても困るわけで・・・・・・先日、twitterにて細田守さんが大量に来たフォローメールに驚いているのを見て、やっぱりそんなに大量に来たら困るよなあ(苦笑)等と実感したりしました。
 何かのインタビューで細田さんが言っておられましたが(雑誌のアニメスタイルだったかな?)、人間の善意とかが「ぼくらのウォーゲーム」では障害になるという、これも一つの障害だったんですよね、それを知恵をきかして、ピンチをチャンスに変えたわけですね。
 で、それが「サマーウォーズ」ではどうだったかという話なんですけど、ラストの夏樹とラブマシーンとの花札対決で世界中の人たちが「手駒」になる事を望んで出てきますけど、この人たちって、突然出てきたわけじゃなくってずっといたんですよね。
 この事態に立ち向かう栄家の人々の行いをずーっと遠巻きに眺めていた人たちなわけで、それがどうして力を貸す事にしたのかというと、危機を実感したからなんでしょうけど・・・・・・それって一体どういう事なんでしょうか?
 多分、それは世界の危機を想像したから、なんでしょうね。
 想像と言うと、自分はこの作品の大きなテーマは想像力だと思っていて、それは間接的なコミュニケーション手段の向こうにどれだけ「人間」を想像できるか?という事なんじゃないかなあと思っています。
 漠然とした状況から世界の危機を想像したり、ネット上の電脳世界を実感したり、主観的に日常生活の延長として感じたり、二頭身のアバターが等身大に見えたり(と言っても等身大なのは基本的にカズマと夏樹位ですけどね、そこは特別な存在という事なのかな?)、逆に言うとおばあちゃんが死ぬという事を想像できない家族(だからこそ、半分他人の健治と侘介だけがおばあちゃんの老いに気づけるんじゃないかなあ?)、自分の行動によって誰かが迷惑を受けることを想像できない行い等々。
 もしかすると、現実世界もネット世界もどこか想像力によって成り立っている世界なのかもしれないですねえ、それこそアニメもそうなんでしょうけれど。
 だから、この作品の中でおばあちゃんが特別に見えるとしたら、電話やテガミの向こうにいる人の事を身近に想像出来ている事、なのかもしれないですね。
 そういう部分があるからこそ、一番身近なおばあちゃんの家族が本当の理由は分らないけれど、結果的に亡くなってしまったおばあちゃんの命に対する負い目を感じるんじゃないかな、だから「弔い合戦」になるわけですよね。
 それで、何で健治君が主人公なのか?というと一番最初の所に書きましたけどこの映画って全員揃って敵に突撃するぜ!というわけじゃなくって、それぞれの持ち味を生かして障害を乗り越えていくぜ!という感じがするんですよね、そして主人公が一人とか全員じゃなくって瞬間的にその登場人物が「主人公」である瞬間が連続している、主人公のリレーをしているような作品だなあと思いました。
 だから、「障害物リレー」なんですね。
 健治君が主人公足りえるとしたら、それは最後にバトンを受け取ったからなんじゃないかなあ。
 途中までっておばあちゃんやカズマや侘介、それに夏樹がこの映画の主役だと思うんですよねえ。
 で、家族の人たちも瞬間的に主役になる瞬間がある。
 この映画を見ていて、ずっと思っていたのが、何処が一番の「山」になるんだろう?と不思議になる位、危機が去らない事で、それを何とかその場その場でやり過ごしていくのが連続していると思うんだけれど、健治君って実際に戦ったりするわけじゃないし、実際にラブマシーンと同じ土俵に立つのはカズマと夏樹だけなんですよね。
 だからこそ、等身大の人間として土俵に上がっている、二人のアバターだけは等身大の人間のように見せているんじゃないかなあ。
 だから、夏樹に自分達のアバターを手ごまとして預ける描写って言うのが特別に見えると言うのは、ネットの世界の向こうにいるどこかの誰かを信じたんだと言う瞬間、という事になるんじゃないかなあ。
 だから、自分はこの映画で一番ここがぐっと来た所でした。
 ジョンとヨーコはそこに「奇跡」って言う名前の彩を添えただけですよね。
 実際、「よく分らないけれど」なんていわれてましたけど。
 クライマックス、衛星が落ちてきて巻き起こす激しい煙は、勿論「橋本敬史」さんですよね。
 そういえば細田さんが公開直前に「アニメージュオリジナル」のインタビューで橋本さんがいたら、爆発を入れないと失礼に当たる云々〜言っておられているのを読んで思ったんだけれど。
 確かに、橋本さんのような優秀なエフェクトアニメーターの人がいたら、そういうシーンをやってもらうのは当たり前なんだろうけど、アニメーターにどんなシーンを描いてもらうのかというのを要求する演出家って、その人の未知な部分や、新たな可能性を引き出せる仕事だと、自分は想像しているので、自分のような受け手やそれこそ仕事をまかせるアニメーター当人にとっても意外な、良い意味で期待を裏切る事のできる要求をしていって欲しいなあ。
 なんて言ったら、作画オタクの傲慢でしょうか?
 ラストシーンはほっぺにチューで閉めて、エンドマークもといメインタイトルが出ます、本編よりも細田さんのコンテの印象に近いようなまん丸が可愛いですね。
 あとやっぱりこの健治君って、結婚して幸せいっぱいな細田さんに見えてしまうなあ、この作品が私小説的に見えるのもそういう監督の個人的な部分を結びつけて考えてしまうからなのかな。
 しかし何故か最近の細田さんの作品は主人公が鼻から汁をたらして終わりますね(笑)。
 泣いてる時も鼻汁たらすし。
 良い所で良い顔をさせないであえて崩していると言うか、ディフォルメしていると言うか、絵がアニメアニメしてますよね。
 これってすごい事だなあと思います。
 これだけアニメアニメしている作品なのに、「映画」として受け入れらているんですから。
 これって「佐藤順一」さんの作品に近い所があると思うんですよねえ、佐藤さんは細田さんの先輩演出家で影響を受けているのは当然なんだろうけれど。
 最近「うみものがたり」の1話目で面白い表現があって、カノンちゃんって言う名前のキャラクターが元カレのくれた指輪を握り締めて苦い顔をして「いらないから、捨てたんだ」みたいな事をいっているシーンなんですけど、顔は崩していないちゃんとした顔なのに、指輪を握り締める手だけディフォルメした丸っこい絵で描かれていて、面白いなあ何て思ったんですけど。
 これって、口では終わったと言っているけれど、本当は未練があるって事ですよね。
 で、どっちに本意があるかというと、真面目な顔をしている「顔の表情」じゃなくって、マンガチックに描かれている「手」の方にあるという。
 つまり、崩している、ディフォルメされているアニメ的な部分に本当の感情が表れている表現なんですよね。
 それで更に最近思ったのがこれって「ハウルの動く城」のソフィーが年をとったり、若返ったりする表現に似ているなあと思ったんです。 
 ハウルのソフィーってその年齢の変化の描写が絶妙で、あまりに自然なので凄い変化が起きているのに自然に見れちゃうんですけど、それはその時々の感情の流れに沿って「変化」が起きているから、その変化自体を流れるように自然に見れるんですよね。
 つまり、そこには感情の流れっていう物が克明に描写されているんじゃないかな。
 それに当たる物が、佐藤さんや細田さんの作品のディフォルメの仕方にはあると思うんです。
 だからこそ、顔の半分以上が口になって泣いたり、「お願いしまーす!」なんて叫ぶアニメっぽい登場人物達の顔を見ながら差し迫ったその感情を実感できるのかもしれませんね。
 こういう表現ってアニメならではというか、アニメそのものと言う気がするんですけど、なんとなく最近読んだ「海がきこえる」のコンテについていた小冊子に寄稿されていた、映画監督の「青山真治」さんの文章を想起しました。
 部分的に抜粋させてもらうと、


 だが例えばこの『海がきこえる』の冒頭、駅のホームに立つ主人公が線路を挟んだ向いのホームにいる女性を見るその視線を滑り込んできた電車が遮るカットで、ホームの柱に貼られた「きちじょうじ」という縦長のプレートが車窓越しに見える時、心の中で違う、と呟く自分がある。
 実写で撮影した場合、あのように「鮮明」にプレートが見えることはまずない。
 というか、現実に我々が見る時、あのように「鮮明」に見えないはずだ。
 この「鮮明さ」が現実に対して持つ距離が、同時に映画とアニメの違いだ、という気がする。
 アニメにおいては、現実はそのように「鮮明」に感じられないものも、情報として確実に供給される。
 見る側は、それを約束として納得しつつ見る。
 〜(中略)〜
 映画は、こと画面に映るものに関しては、現実以上の「鮮明さ」を望まれる事はない。
 それは、映画にとっての生命線でもある。
 
 
 この「鮮明な駅名のプレート」を「明確なディフォルメされた表情」もしくはアニメ的なアニメにしか出来無い表現に置き変えて考えてみると、それはとても「アニメ」なんじゃないかなあ、何て思うんですが。
 それでも、この作品が映画として受け入れられていたとしたら、それって中々すごい事なんじゃないかな。
 アニメなんだけど映画、映画なんだけどアニメ、限りなくアニメである事をちゃんと追求している、そんな所が好きですね。
 それでまあ、何で「普通に面白かった!」なんて言っているかというと、やっぱりこの作品に出てくる大家族、それに主人公の健治君って自分には「普通の家族」には見えなかったなあ。
 やっぱり世界を救うに値する人たちで、世界を救うほどの力がある(逆に言うと世界を混乱させる力を持っていたわけですよね、侘介は)、世界を救う必然性っていう物が積み上げられていっていて。
 それが、当然のように見える、ような気がします。
 それこそ大黒柱を失った大家族が困難を乗り越える過程で、また一つにまとまるのが自然な成り行きなのと同じように感じると言うか。
 でも、もしかすると、家族を作るって世界を救うのと同じ位に大変な事なのかもしれないなあ・・・・・・
 
 
  
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「アリーテ姫」スタッフリスト。

2009/09/04 22:58
監督・脚本 片渕須直


キャラクターデザイン 森川聡子


美術監督 西田稔


CGI監督 笹川恵介


色彩設定 林亜揮子


作画監督 尾崎和孝


作画監督補 浦谷千恵

鷲田敏弥   千葉ゆみ   坪内克幸   松井理和子


原画

山口明子   青木康浩

松崎 正    久保正彦



長嶋陽子   追崎史敏 

児山昌弘   春日井浩之

山川浩臣   海谷敏久

福富和子   柴田志朗

本山浩司   津熊健徳

小西賢一   吉田大輔

葦野芳晴   浪岡浩美

星 和伸    関口 淳

志田晴美   片岡恵美

関口英樹   柴田和子

倉田美鈴   山田珠美

松尾真理子  鈴木麻紀子

佐藤好春   加瀬政広
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実相寺昭雄演出?アニメ「二十四の瞳」OP

2009/08/26 22:03
 このブログを読んでいる方は「日生ファミリースペシャル」という番組をご存知の方はいるでしょうか?
 自分は最近知ったのですが、70年代後半から80年代にかけてフジテレビの特別枠で放送されていた、長編アニメ番組です。
 最近でこそ「ポケットモンスター」や「NARUTO」、「名探偵コナン」等の有名TVアニメ、もしくは戦争追悼アニメ位でしか、スペシャル枠として30分以上の放送時間を越えるTVアニメを放送する事は稀ですが、昔は色々と折を見て特別番組として長編のアニメが放送される機会がありました、この番組もその一つです。
 
 詳しくはこちら↓
「日生ファミリースペシャル」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%9F%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB


 アニメファンの間では有名なのかな?
 この番組は自分が三歳の時分までの放送が最後だったようなので、さすがに見た記憶が無いけれど、作画好きな人の間ではテレコムが制作した「姿三四郎」等は結構有名なのかもしれないですね。
 今日話題にしたい作品はその中の一本、「二十四の瞳」です。
 この作品はいわずとしれた有名な小説の作品ですが、構成としては現在の映像が「実写映像」で、過去の回想映像が「アニメーション」の映像で構成されています。
 監督は「吉田しげつぐ」さん、「実相寺昭雄」さんの連名。
 そのまま吉田さんがアニメパートの監督、実相寺さんが実写パートの監督だと考えて良さそうですね。
 作品冒頭は実写パートに繋がるOPから始まるんですが、おそらくここも実相寺昭雄さんの演出だろうと思われます。
 単なる,推測なんですけど,実相寺さんの中では実写がアニメの添え物的な扱いを担うこの作品のことをあまり快く思っていなかったのかなあと思われるような作りで、壮大な皮肉ともとれる映像なんですけれど、なんというか「アニメ」といってもこの場合「セルアニメ」限定なんだけれど、その素材の切り取り方、セルアニメという表現を解体する手腕が見事で、なおかつそれがちゃんと実相寺美学に基づいている映像としてなりたっている、見事な仕上がりで、短いながら幼い頃からセルアニメに慣れ親しんでいたアニメファンの自分には中々鮮烈な映像でした。
 という事で、そんなアニメ「二十四の瞳」のOPをちょっと、ご紹介。

 

 まず、ファーストカット(この前にメインタイトルがあります。)
 
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 背景画とセル画が重ねあわされている所に一つだけ「照明」が当たっています、カメラはズームしていって・・・・・・

 
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 背景画とセル画の間には、隙間があるようで、照明が当てられることによって、セル画から作られた「影」がくっきりと背景画に浮かび上がります。
 セル画に書かれているものが「絵」である事が強調されているようです。
 モノクロの背景画と彩色されたセル画の対照的な「色」も違和感を引き立てているようにも感じられます。


 さらに、次のカットでは照明に照らされるピンボケの映像から・・・・・・

 
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 設定書らしき「絵」の映像に

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 今度は背景画もなく、セル画単独に浴びせられた照明の光が、セル画の影を克明に映し出しています。

 
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 様々な作業工程の映像が流れているようで、セル画や線画を重ねて確認している映像、アニメを構成するための部品としての「絵」の映像が続きます。

 
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 線画に、

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 セル画が乗っかって

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 さらにそこに、「口」だけの別セルが追加されます、「口セル」の影がしたのセルに移っていることに注目。

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 ちゃんと乗っけてもまだ「口セル」の影は下のセルに写ったまま。

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 さらに、そこにクローズアップされるカメラの映像によってセル画の「絵の具」としての微妙な立体感が見えてくるような・・・・・・?

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 作中の感動的なシーンの「絵」。
 ここでも、動画とセル画が重ねられています・・・・・・

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 これもクローズアップ。

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 作中の登場人物達が勢揃いしている「絵」・・・・・・

 
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 セル画が重ねられ・・・・・・

 
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 セル画が「影」になるように、照明を当てて

 
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 「夕日の映像」に・・・・・・

 
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 しかし、映像を明るくして見てみると・・・・・・?

 
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 作中、印象的に出てくる「自転車に乗った先生」もシルエット状に

 
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 「夕日」に照らされて、長い影を作っている子供達」に見えますが、良く見てみると「夕日」の赤いセロファンがずらされています。

 
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 メインタイトルの判子が押された資料。

 
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 そして、また夕日・・・・・・

 
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 しかし・・・・・・

 
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 今度は逆に、カメラを引いてと・・・・・・?

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 さらに、映像が明るくなり、この赤い「夕日」もまた、本当の「夕日」ではなく、「照明」であった事が分ります。
 
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 ここで、OPは終了、本編の実写パートが始まります。



 黄金に光り輝く、実写の「夕日」の映像を連続で・・・・・・

 
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 「夕日」そのものを映像の中心にすえないで、夕日に「照らされた」海が主要なモチーフになっている所がポイント、なのかな?
 映像の綴りもそういう意識を感じる順番になっているような?
 作り物である「アニメ」の素材は光を当てても「影」しか作らないんだけれど、現実の風景である海は「光」を当てる事によって、新たな「光」を生み出すということなのかな・・・・・・
 
 
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 因みに、上の画像のように本編の映像自体は昼間の映像から始まります、この映像はOPの余韻みたいなものかな、この夕日の映像の後に舞台の説明をナレーションと資料的な映像ともに映像で説明する映像があります。
 OP自体は止め絵で構成されていて、アニメという表現ではなく、それを構成する撮影用の素材を別のアプローチで再構成した映像という事になりますね、何度か「夕日」が出てきますが、アニメでの実際の「夕日」の制作手法とも違いますし。
 静止画で紹介させてもらいましたが、アニメに対する壮大な皮肉ともとれるようなこのOPなんですが、どうですか?中々面白いと思いませんか?
 アニメがこれだけ広く人々に受け入れられる時代になっても、アニメがアニメであるというだけで、否定する人も少なく無いかもしれません。
 逆に言えば、アニメが好きな自分達も、実写に対して同じような距離を持ってしまっている瞬間があるのかもしれません。
 作り物であるからこそ、その世界やその中にいる登場人物達が「生きている」と感じられる瞬間が特別なアニメという表現が自分は好きなんですけど、こうした特定の表現に対する、いつもとはちょっと違った角度からの新しい表現に触れることでアニメや、逆に言うと実写に対しての意識自体も柔らかくなれるような気がします。
 こうして、言葉も無く映像によってスマートに「アニメ」と「実写」の境目をくっきりと見せてくれた実相寺さんは本当の演出家だなあと感じさせられました。

 
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